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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年01月15日

小発見シリーズ上並榎(6) 金田水車

小発見シリーズ其の弐で、紹介したNO7とNO8の踏切の間、上並榎城の濠であった佐賀野川が信越線を潜る手前、妙に、気になるポイントがありました。
つい数年前まで深い堀添いに竹藪しかも黒竹が這えていて、小屋があり、北から流れて来た川がカーブするように鉄路を潜りそのさきで烏川に落ちていました。
今は小屋はなく更地で売地と看板にあります。
気になる訳は、もう五十年以上前に祖父と散歩していた時 ゛ここに、水車があってな・・゛なにかを言おうとして、少し悲しそうな顔のまま口籠もったような記憶が、この景色と重なっていたからです。
もしかしたら、その後しばらくたってから、父から聴いた祖父の子供時代の話がその記憶を鮮明に保ち続けさせたのかも知れません。
川を見下ろすかの様に、馬頭観音の石塔がありました、その横にもあるのですが読めません、前に小銭と茶碗がおいてありました。
馬頭観世音の文字の左横に金田水車とありました。
そう確かに水車の字が確認できました。

どのくらいの昔から水車はあったのでしょか。明治18年の高崎、横川間の開通時は多分、水車は回っていたでしょう。汽車の窓から見えたことでしょう。もしかさたら、昭和の初めまで回っていたかもしれません。祖父は、その後は国鉄勤務でしたので、汽車の窓から見ていたかも知れません。
今回は、自分の微かな記憶を証明したセンチメンタルな、小発見でした。
  

Posted by 捨蚕at 02:56
Comments(2)上並榎シリーズ