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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2011年02月28日

句会がたまにある呑屋でのこと

 覚法寺から始まって割烹魚仲まで、東西に細長いこの街の名は嘉多町(かたまち)です。

 安永三年(1774年)に町は本町から分離しました。
 道の北側に藩の組屋敷が連なり通称片町と呼ばれていたそうです。

 で、この店もやはりうなぎの寝床、 
 中庭の山桜は一見の価値あり、花が緑です。 
 四月のライトアップの花見句会が楽しみです。 





 店主の翠玲さんが取り出してきた一枚の色紙。
 上村占魚でした。じつは馬脚先生も占魚の弟子とか・・。

 なんでも、ご母堂さまが亡くなった時に戴いたとか。




 お父さんが初期の群響の楽団員で
 山本直純君とよく遊んだという翠玲さん
 これも”音楽センターにまつわる物語”のひとつですね。



 で、句会の結果ですが
   (三点句)の紫陽さんが首位
        墨の香の画は廊下まで春近し

 で、捨蚕は一点句で
        寒ブリをかかえて大男(おとこ)現われり  

2011年02月25日

だいすきだ

   音楽センターにまつわる物語が大すきだ・・・。

      どんな物語があったんでしょうか・・・。 






    映画”ここに泉あり”の岸恵子さんです。


    ”あすなろ”のコーヒーカップです。



    高井俊一郎の小冊子の二枚目左頁です。
  

Posted by 捨蚕at 20:04
Comments(0)馬鹿親選挙日記

2011年02月24日

モノの少なかった頃の方が・・・

    小冊子”こんな街を想像してみよう”をひらくと  
        こんな言葉がとびこんできました。


    ”モノの少なかった子どもの頃の方が地域も人も
     活気に充ち溢れていたのでは?
           と思うのは、ぼくだけであろうか”




      駄菓子屋の店先は子供たちの社交場


      路地はいつも子供たちの運動場


      毎日がお祭のようだった


      極貧と言い切る過去や 春となり     捨蚕

       世を恋し人を恐るる 余寒かな     鬼城  

Posted by 捨蚕at 10:17
Comments(0)馬鹿親選挙日記

2011年02月23日

かりんとう饅頭・其の三

      4月2日同窓会当日限定の一品です、
      
      枚数は予定約80枚位予定してます。
     
      西小学校第十一回卒業生のみに配布されます。

      かりんとう饅頭が三個入る包装布です。

      いまに必ずプレミアがつきます、

      どうしても欲しい方は私まで

      そつと、御連絡ください・・何とかします。





  

2011年02月23日

ブランコ公園

           日程  2011・2・20(日)
           時間  15:00~
           場所  ブランコ公園
           主催  高井俊一郎後援会

 通称ブランコ公園・・
 50年前は確か広場もしくは住宅の広場だったはずなのに。

 当初は県営住宅の共有地でした、
 その後高崎市に寄付をした時点で公園になりました。

 30年前にはブランコと砂場が出来て、
 子供達はそれをブランコ公園と呼んでいたのでしょう。

 藤棚も有りましたが、一昨年に老朽化のため撤去されました。

 県営住宅も50年前は、バス停前の広場のある
 当時としてはチョットした一画でした。

 中村メイコのラジオドラマの”一町目一番地”を彷彿させるような・・・。
 ”みんなの夢です いつちょうめ いちばんち”でした。
 

 今は住人も超高齢化してしまい、売れない空地もそのままです。 

 で、何の話かというと”高キャラ”と書いた幟旗の街頭演説です。
    高崎キャラメルのPRでしょうか・・・。


 いずれにしても、子供達の声と年寄の世間話で
   久々に往年の賑やかな広場に戻ったような一瞬でした。

  

Posted by 捨蚕at 10:51
Comments(0)馬鹿親選挙日記

2011年02月22日

雛の家

     ”月光は河原つたひに雛の家”   直人

 烏川に沿っての散歩帰りに立寄った知人宅、
  通された暖炉のある部屋にその雛は飾られていました。

 庭には、白樺の木のみ数本、ぐるりには薪の塀がビッシリ。
  むこう数年分の薪燃料は確実に蓄財されている、壮観である。

 美男美女のご夫妻、すべて拾われたという犬と猫たち。 
  そして、このお雛様・・・どんな物語があつたのでしょうか・・。

 ひっそりと、でも確かな家が、
  ”ひいなの家”が、そこにはありました。

  

Posted by 捨蚕at 13:57
Comments(0)俳句のすすめ

2011年02月19日

雁田川(2)

  川はさらに高前バイパスを越えて、並中の東を南下します。  

  並中は昔は四中でした、たぶんニ中と三中が合併して高松中になった時分、
  ”四から並”になったのでしょう。
  それにしてもここの桜並木は一見の価値があります。







  室田新道(高崎経済大学前通り)を潜りさらに川は南下します。
  (ここの橋の名前が小山堰橋だとつい最近に知りました)

  ホソヤ工業の倉庫のところは、鰻屋さんでした、
  子供たちが西小からの下校時に蒲焼の匂いがする橋でした。

  やがて川は信越線を潜り、西小の校庭の地下に消えていきます。



  北部排水と書かれたプレートが現存していました。



  金井君(同級生)が書いたイラストです。
  校庭の真ん中を用水路が描かれています。
  川を挟んで、新旧の校舎がありました。
  田んぼの中を汽車が十二鉄橋に向かって黒煙を吐いています。
  



  で、この川はその後どこに向かっているのでしょうか・・。
  まさに並榎七不思議の世界ですが・・。

     色々な説があるようです、岩田説とか吉田説とか、  
     でも有力なのは今のところ岩田説のようです。

  君が代橋とテニスコートの間に、それらしきものを見つけたのですが・・。

  

Posted by 捨蚕at 08:00
Comments(0)下並榎シリーズ

2011年02月17日

お出迎え

  ”おひきずり”のうさちゃん達がゾロゾロとお出迎えです。

     もちろんマッシュ君も愛想を振りまいています。

  今日は氷見の寒ブリをなすび君が持ってきて、
            で 急遽イッパイてな訳でして・・。

      
  そのうち、鮟鱇の話になつてその場でtel予約、なんでも茨城とか・・・。  

  かりんと先生、大乗り気です。(stegoは予定があって駄目でした)





    ふと見ると、デブの天使がジャンプしてました。

  ようこちゃんも、さっちゃんも、みちよちゃんも、かよちゃんも、

    風邪をひきません様に・・・なにせ歳なんですから・・。

  

Posted by 捨蚕at 15:00
Comments(0)じょう庵

2011年02月15日

ガキとお嬢さん


  ソバカスと洟垂れとアカギレの悪ガキどもが棒を振り回していると 

   時として路地にお嬢様が出現することがあります。

  ガキどもは口をポカンとあけて、ただ通りすぎるのを見送りました。  

  ”おめかし”をして東京から高崎の親戚の家にやって来た女の子だそうです。

   それはまるで異次元の世界からやつてきた生物のようでした。


                         (ペーター佐藤のイラスト)

                             
                 (古ぼけた妻がだいじにしているバックの絵)
  


2011年02月14日

あれサッカー場が・・・

   あれ! 街中にサツカー場がある。

       池もあるよ!

   音楽センターがここだから・・・

    場所は・・・ よく分かりません。

   でも、あればいいな・・・。




  

2011年02月14日

この四本辻は

   江戸時代の法輪寺の描いてある絵図です。
    左右に横断している道は旧中山道です。」

   江戸初期までは、安国寺・大信寺・法輪寺をつなぐ
    この道が中山道でした。

   寺への参道と旧中山道が交差するこの四本辻が、今日のお話です。



  明治30年の”高崎街全図”の一部です。
  廃寺になった真応寺と法輪寺が、
  北通町と書かれた道と四本辻、
  でも十文字でなくて、筋違いですね、




  四本辻は、黒澤薬局、高崎タイピスト、仲居屋フルイ店、山口肉店ですね。  
  昭和35年頃の住宅地図です。
  薬屋と肉屋さんは、現存してますね。




  そして、これが今現在の町並みです。
  おざき文具店(閉店しました)  
  東京ガスや法輪寺保育園が見えますね。



  クロサワ薬局さんです。


  金古の帽子屋さんです。
 

  ざつと、この四本辻のたかが200年でした。  

2011年02月12日

雪と植物


  さざんか

 きんかん

 ねぎ 

 こまつな
  

Posted by 捨蚕at 22:35
Comments(0)小発見シリーズ

2011年02月11日

雁田川に沿って(1)

 その川はこの堰で南下します。  
 名前は北部排水路、昭和27年に完成しました。
 それ以前ここには、雁田川が流れていました。

 その昔三国街道の上飯塚村より西は雁田と呼ばれる低湿地帯でした。
 ヨシやアシの生い茂る、雁の一大生息地でした。 



 今の住宅地図を見ると、ここは並榎町の一番地でした。
 ここより北は全て下小鳥町、西は上並榎町、東は飯塚町。
 この川に沿って、細長く並榎町は南下して行きます。





  並榎八景絵図の景六に雁田の落雁(らくがん)があります。
  この絵図は文化元年(1804)に上並榎村の護国寺の一元上人の主催で、  
  本郷の狩野派の画人神宮守満によって描かれました。

    ”秋はまず をのが名にあふ田のもとや  
            ここにおちきて あさる雁がね” 
                知恒(ともつね)

  大沢知恒の本名は大沢佐市、高崎田町の大商人でした。





  たまに合鴨や、白鷺をこの汚れた川に見かけることがあります。
    この生物の遺伝子は、かつて生まれ育った場所を記憶しているのでしょうか・・。
    私のDNAもこの雁田を記憶しているのかも知れませんね。  


Posted by 捨蚕at 12:18
Comments(0)上並榎シリーズ

2011年02月10日

じつは親戚なんです

  都美子と倖太郎です、私たちは姉弟です。
  すぐ喧嘩しますが、すぐに仲直りします。      
  
  ここだけの話ですが、
  じつはハイブリットな市会議員高井俊一郎は、
   私たちの伯父さんなんです。

  4月には選挙があるそうです。

  前回は5790票で一番だったそうです。
        (二番目では駄目なんでしょうか・・・)

  今回も県議選でも市長選でもなく、
          市議会選だそうです。

  子供ですので、難しい事は判りませんが、
          どうか ひとつ宜しくお願いします。

                  とみこでした。


  

Posted by 捨蚕at 07:54
Comments(0)号外

2011年02月07日

チョコかりんとう饅頭



       ずいぶん欲張った食べ物ですね。
    だつて、チョコレートとカリントウと饅頭ですよ。   
    ほとんど、巨人・大鵬・卵焼き・状態ですよ。

    俳句にたとえれば、    
     ”旅に病み ひねもすのたり おらが春”    
            (芭蕉と蕪村と一茶)

    おそらくコロンブスとザビエルと諸葛孔明の共同作品と思われます。
       (カカオと南蛮菓子と人頭の代用品mantou)        

          なにはともあれ、いちど御賞味あれ。


  


2011年02月06日

その如月の望月のころ

      ”ねがわくは花のしたにてわれ死なん
              そのきさらぎのもちつきのころ”

          ご存知 西行の辞世の歌です。

五十年前の小学六年生が、最後の同窓会を満開の桜花の下で開こうと幹事らしき人たちの会議の後に

やっぱり二次会が無いと収まらなく酒とつまみを手に”じょう庵”に集まりました。

もと男の子は、染之助、ドレス社長、かりん糖先生とステゴの四人。
もと女の子は、写真のような和洋長短のもと美女四人でした。

        支離滅裂の会話内容でしたが
          そこはかとなく楽しくも
            哀愁の漂うひと時でした。




  

Posted by 捨蚕at 09:45
Comments(2)じょう庵

2011年02月05日

高い所から失礼します

   ライオンズの七階からの風景です。

     ”片岡の山野辺”と”高崎田町の往還道”

   豊田園と手塚の歯医者の屋根、

       お隣は浄土宗善念寺の参道でした。



  

2011年02月03日

ミスドとマックでおやすみなさい

     孫の子守を頼まれて、とりあえずミスドです。

   紙の袋にもトイレにも、ひと昔前の子供がいました。 

      あま! ふわ! かわ!の”エンゼルテデイパン”

   西松屋でサッカーボールを買って三角公園へ 

      挙句の果てにマックでジュースとポテトチップを食べて

                   お疲れ様でした。