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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2011年08月02日

石臼(ひき臼・つき臼)


ひょんな事から入手した二種類の石臼です。

   碾き臼は挽手を付けて食材の作成に・・・。
     (コーヒー・抹茶・山椒・蕎麦・鷹の爪)

   搗き臼は水生植物とメダカを入れて玄関に・・・。

     この搗き臼は昔、ご近所の方々と餅つきをしたそうです。
    
     搗きたての餅を頬張るガキ共の顔が目に浮かぶようですね。





  

2011年01月21日

私がstegoです


  キューピーさんに無理を言って私こと、stegoを描いてもらいました。

   決してハンサムではありませんが、素敵でしょう・・・・。  

    キューピーさん有り難うございました。

  

2011年01月09日

市松人形

 

86歳の母が子供の頃から 
大切にしている人形です。 

七五三の時の着物を 
仕立て直したとか・・。 

戦前に人形大使として 
米国に行く筈だったとか・・。

私の孫娘が七歳になつたら遣るそうです。

由来を書いた紙と一諸に 
押入れの奥で雛祭りの日を
待つているはずです。  

2010年08月25日

”コラ”てなあに




名前は知りませんが

 ”上野~高崎”間の 

電車の横についていた 

行き先のプレートです。

















 裏を返すと 

 行き先が変わります 

 この籠原で待たされたり 

 移動させられたり 

 急に混んできたりしたのを 

 思い出しました。

















  あれれ! 

 右下隅にカナ文字が。




















 


 ”コラ”とあります 

 どんな、意味でしょうか 

 教えてください 

 お願いします。  
タグ :コラ籠原


2010年08月22日

自動蝿取器(じどうはえとりき)

分かりずらい写真ですが、これは自動蝿採器です。
ゼンマイ仕掛けで、一見オルゴールのような型をしてますが、
ハエを取る器械です。
40年前までは、間違いなく我が家にありました。
ローラーの部分に砂糖水を塗りますとそれを舐めていた蝿が、気がつくと檻の中に取り込まれる仕組みです。
この”間抜けなハエ”をとる器械が面白くて、子供の頃よく遊びました。
服部時計店と書かれた、ガラスの窓の部分が花柄の木箱でした。
今はどうしても見つかりません。
家の改築時に処分してしまつたのかもしれません。









































ところが、”いろり”の古いラジオの上にあるのを発見していました。
そして、昨日ようやく撮影に成功した次第です。

(ひいき目ですが、我が家にあったものの方が上物だった気がします・・・・)

  

2010年08月16日

幼稚園のときの絵

長男が幼稚園のときの絵がでてきました。 
 卒園記念の絵ですから約30年まえのものですか。 
   アルバムの表紙になっていました。

   いかにも彼らしい絵だなとつくずく思いました。 
    お盆で子供ずれで来た時の話題№ワンでした。 
       待ちうけに入れてみました。 

                             ガラクタて宝物ですね。

  

2010年08月12日

夏ピカソ

       ”横向きの女も見てる 夏ピカソ”      
                               平成15年夏 (stego)

     額に一ピース欠落しています、これは自作のジグソーパズルです。 

         居間の隅からもう7年間も見つめられています。       
                    
               P.Picassoはなぜか夏が似合います。  

  

2010年08月01日

インド料理店で・・・空即是色



木製の香炉です 

高さは30cmです 

白檀を焚いてみました

夏は白壇ですね  

お盆のお寺みたいですが 


ちなみに、この香炉 

金850円也で

今日買いました






このお店は 

奥が美術館です 

 ラーマ王やシバ神が 

 ヒンズーの神々が 

所狭しと並んでます  


見ていると 

仏陀さえも 

こんな神々の一人 

そんな気にさせられます







 いかにもインドらしい絵画 

 
  かって唐・天竺は 
  遠い憧れの地でした 


日本という坩堝(るつぼ)で 

純化と混沌を 

コスモスとカオスを 

繰り返し、繰り返し・・・





 
 ここは蓼科の 

 インド料理屋  

 たかが”マハラジャ” 

 偶然飛び込んだ食堂 

 でも色々と教えられます 
 考えさせられます
 
 850円の土産にも・・・。 
 それなりに、 
 
 どうか皆さん 
  自分の眼で 
   自己の眼力で 
きッと、無は有に変化します。  

2010年07月30日

たぶん神聖なもの

   何だろう・・・仏具・・・香炉・・・たぶん神聖なもの

     露天の古物屋さん・・・真言密教の・・・・チベットの・・・梵字かも 

             でも、間違いなく、神聖なものです。













































  

2010年07月30日

鳥(バード)

   ”鳥と女”  吉原英雄(1931・1・3~2007・1・13) 
         版画50/366    1966作品
                 (6.7x6.3cm)









































      恐竜は絶滅しましたが、鳥となって甦ったそうです。
          つまり、鳥の祖先は恐竜でした。     
  


   家の前の電柱に 
   夕方になると 
   二羽、三羽と 
   鳥が集まってきます  

   やがて、 
   物凄い数になって 

   しばらくして 
   見上げると 

   一羽もいませんでした。 
  何処へいったのでしょうか・・・。
   
タグ :吉原英雄


2010年07月11日

陶枕(とうちん)






  陶製の枕です 

硬いけれど涼しいです 

老子や荘子になつた気分 

仙人や詩人になつた気分


冷酒を手に陶枕をならべて 

初恋と天下国下を一緒に 

語り合いましょう。








両サイドには 

”鶴は千年、亀は万年”や 

”ツバメに松竹梅”の絵 




この曲がり具合が 

微妙かつ絶妙






 

”天壽を全うする”の”天壽”  


私の父の名は國壽(くにひさ) 

兵隊で中国に行つた時  

いい名前だと誉められたそうです。 

村の”学者くずれ”の人が 

命名したと聞いています。  


昼寝には陶枕を 

どんな夢をみるかな・・・。
  
タグ :陶枕


2010年06月14日

心海さん・中山道を行く(Ⅰ)











































     嘉永五子八月二十二日 
     信州佐久郡塩野村真楽寺格末 
     同郡中山道小田井宿宝珠院発足ニテ
     郷原村自性寺法類ニ付止宿 
     同二十三日安中妙光院登山 
     同二十四日当寺隠居江初之対顔 
     弐本入扇子箱 菓子料金百疋

             (北野寺所有 井伊家御継目記より)

  

安中市下後閑に北野寺という寺があります。 
この寺の住職の快秀さんが隠居しました。 
後任に信州小田井宿の宝珠院の住職である、 
心海さんが選ばれました。 
この心海さん生まれは安中の嶺村でした。 

1852年8月22日に小田井宿を早朝に出発、 
追分宿・沓掛宿・軽井沢宿・碓氷峠を越えて、 
坂本宿・松井田宿を通り郷原村に着きます。 





8月22日の何時に郷原村に着いたかは分かりませんが、関所の閉門が暮れ六つ(午後6時)ですので、 
それ以前に横川を通過したのは間違いありません。 
翌日23日安中の本寺である妙光院に挨拶し、24日に北野寺隠居快(31世)と対面してます。 
その時に扇子2本と銭2500文を手土産としてます。 

さて心海さんこのあとが大変です、江戸の井伊屋敷まで挨拶に行かなければなりません。 
その話は、またの機会にお話したいと思います。
  


2010年06月07日

いつからあるの

     



  あまり 
  意識しません 
  でしたが

  トイレのドアーに 
  
  ずっとありました。












                    





  あとの

  ふたつとは
  
  仲良く
  
  階段の途中 
  
   にあります。









       





   すくなくも 

   
   35年は
   あります。 

  なぜあるか
    考えたことは
     
   ありませんでした。  
  

2010年05月22日

どちらがお好き


      昭和9年 
     
       サッポロビール
   
       札幌麦酒



















 
     昭和10年 
     
     キリンビール 

     麒麟麦酒  

2010年05月04日

これなあに ・(我楽多 №6)

 

だぶん ”仏具”

もしくは”神具”

”香炉”もしくは”輪灯” 

ただし我が家では、

ずっと小銭入れ 

もしくは小物入れ

  真鍮製 

高さ18cm 幅15cm 

購入価格 多分、壱千円

  
タグ :香炉輪灯


2010年05月03日

伐折羅(ばきら) №5

  




 ”伐折羅大将” 
   十二神将のひとり

 吉永得像(雅号 草玄)作 


 創作年 昭和30年代中頃 

         捨蚕蔵 








・吉永得像  ”高崎の散歩道”の表紙画の作者にして、筆者の吉永哲郎氏
         の実父にして、商業デザイナー。 
                    (明治38年3月22日生) 
                    (昭和58年9月30日亡)

・伐折羅(ばっきら)   婆娑(ばさ)とともに婆娑羅(ばさら)の語源のひとつ。 
 
・草玄     ”そうげんぼう”という名の川魚。   



画材は木の盆、養蚕で使うものだと父から聞きましたが、
名前も使用方法も現状は不明です。 
(大橋から移転したときには、我が家の床の間にありました) 

山名八幡の獅子頭の絵馬、
 簗でもらった鮎の絵の団扇、
  美峰酒造の焼酎のデザイン、 
   みんな、得像氏の作品とのことです。

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2010年04月23日

SEIKOSHAの柱時計(我楽多no・4)

 


MADE BY SEIKOSHA TOKYO. JAPAN. 



MANUFACTURED    
   BY SEIKOSHA   



TRADE  ”S ” MARK 


(以上がこの柱時計に書かれている文字の全てです)





父が小学生の頃、つまり昭和初期には既に横川の国鉄官舎にあつたと云います。 

私が小学校低学年のころ、大橋の借家の柱に偉そうにありました。 

祖父母が一日おきにゼンマイを巻いていました。 

巻くと針はどんどん進みます。ですが翌日には遅れ始めます。 

考えると、ほとんど正確な時がありませんでした。 

立派な家具として並榎町に転居したこの柱時計も、だんだんと邪険にされるようになりました。

春と秋の大掃除のたびに、父母が捨てるのを、そっと子供達で拾って来たこともありました。 

なぜなら、カチカチとボーンボンの音が、毎日の生活のリズムでしたから。 

一度、飯塚町の時計屋さんに修理してもらいました。
一年間ぐらい元気でしたが、また動かなくなりました。

それももう十年以上まえのことでした。  

2010年04月08日

池田さんが米倉さんになった話(我楽多№3)























       或る女                              kano 


米倉斉加年(よねくらまさかね)の1980年の木版です。 
或る女は250部、kanoはAP部とあります。 

実は、池田満寿夫を一枚持っていたのですが、芥川賞を取ったあと値上がりし、米倉さん二枚と交換しました。 
”エーゲ海に捧ぐ”は、1977年だそうです。 満寿夫さん1997年3月8日に亡くなっていました。 

米倉さんは75歳とのことです。 
この版画もう30年も我が家にいたのですね。  

2010年02月12日

ラ・メーゾン(我楽多№2)



写真の看板は昔ラメーゾンにあつたものだそうです。
もう三十年近く我が家にあります。  

田町生まれの妻と、骨董屋の小父さんが言っていたから多分間違いないでしょう。  

私には明確な記憶は、ありません。                        

 店をはいると、螺旋状の階段で絵画や観葉植物があつて、二階は籐椅子のあるゆつたりとした空間がひろがり、シヤンソンとコーヒーの香り、そんな部屋のどこかにあつたのでしょう。   

昭和21年創立とあります。山本直純さんのお父さん山本直忠氏を指揮者に迎えて、ここは、群響のの前身である市民オーケストラの練習場だつたそうです。

籐椅子に座って、煙草はピース、曲はムスタキ、飲むはブルマン、菓子は何故かモンブラン、そんな初老の自分を夢みていた二十歳の私が、かっていました。  

この看板にご記憶のある方は是非お知らせください。お待ちしてます。  
タグ :ラメーゾン


2010年02月09日

ISOMURA TOKIO・・(我楽多№1)

  




     ISO  MURA  TOKIO    


    第弐五六号 瓦斯提燈   
       製造元東京   
      磯村合名会社    





何だかわかりますか。ランプですね。懐中電気の先祖ですね。   
私の祖父の数少ない遺品の一つです。   


あなたは自分の四人の祖父母のことをどのくらい知っていますか。  
残念ながら、私はほとんど知りません。知ることの必要性さえあまり意識していませんでした。

でも考えてみると四人の遺伝子で私ができあがっているのですね。  

祖父の略歴です。
     明治21年4月     誕生 
     明治27年4月     丹生尋常小学校入学 
     明治44年        北高崎駅保線区勤務  
     大正2年        結婚   
     大正4年        長男誕生
     大正7年        次男誕生   
     大正8年12月     長男病死    
     大正11年        熊ノ平の官舎へ  
     大正12年       妻病死    
     大正13年        再婚  横川保線区に転勤     
     昭和5年4月      一人息子 高崎商業学校入学
     昭和14年1月     一人息子 入隊   
     昭和15年       国鉄退職   高崎に転居 
     昭和21年       息子復員 結婚 
     昭和22年       初孫誕生   
     昭和31年       上並榎に転居(七人家族)   
     昭和51年6月15日  死亡   
写真の品は祖父の約30年間の国鉄勤務の遺品でした。