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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年01月30日

小発見シリーズ(15) 榎本於神

最初にシリーズ其の壱の並榎橋で、石段の左右の灯篭台とあるのを、狛犬の台と、写真のとおり、訂正しますことをお許しください。
さて、今回は並榎町の神明宮です。
明治四十三年に高崎神社に合祀されましたが、りっぱに今も下並榎村の総鎮守様です。迷道院さんが追跡されたとおり、大橋町の総鎮守藤森稲荷は跡形も無いんですから。
明治十二年の上野国神明帳によりますと、永仁六年(1298年)の総社神社蔵の神明帳のうち従四位下榎本於神明神に比定しています。
榎本(えのもと)を並榎に、於神(おかみ)を水の神としています。
ものの本に、赤坂の榎の森という言葉がよく出てきます、また烏川の川岸段丘ですから水害には苦しんだことでしょう。
平安時代に起源は求められますが、神明宮になった経過は不明だそうです。
さて、この神社は古墳の上にあります。昭和十年の上毛古墳総覧の220号古墳です。当時の旧市内に八つの古墳が載ってます。そのうち並榎町が二つあります。両方ともに、並榎町山王裏の住所です。ちなみにもう一つは番地的に君が代橋の東、坂を上りきった道路(高駒線)上にあたります。
気になるのは、山王裏の字名です。神明宮の南に天台宗の寺があったと謂うことです。
南に曹洞宗の寺があります。並榎山常仙寺です。ただ創建は寛永五年です(1628年)。それ以前にはそこに下並榎の砦がありました、がそれも和田時代のことです。
天龍護国寺の末寺でもかって、在ったのでしょうか。
それがいつしか廃寺となりやがて下並榎の砦となり、やがて常仙寺として再び甦ったのではないでしょうか。
いずれにしても、
神明宮は健在です、獅子舞も盛んです。近々鬼城の句碑も建つとのことです。
次回は常仙寺です。なにせ並榎山ですから。
  

Posted by 捨蚕at 15:21
Comments(2)下並榎シリーズ