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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2011年03月28日

五輪坂(坂のある風景Ⅱ)

    東京と違って名前の無い坂道の多い高崎の坂道のなかで、
    珍しく名前のある坂道、それが五輪坂です。


    一説には源頼朝が上州三原の巻狩の際、この辺に陣を敷いたという故事
    だから御陣(ごじん)坂が正式名とか・・・。




    意外と急な坂です、登りきるとそこはモルモン教会です。



   右折して水道道を少し下ると、そこは鬼城草庵でした。



   その昔に鬼城さんとふと、すれ違ったような気がしてなりません。


   だから今、何故か再び、50年ぶりの望浅閣のあった、五輪坂でした。

  

2011年03月04日

坂道のある風景

  ”陽のあたる坂道”という小説を昔し読んだ気がします。
    内容は憶えていません、題名だけです。
  この中央小の近くの三本の坂道を見ると、そんな言葉を想いだします。

  東京の坂道には名前があるとタモリが言ってましたが、
  この坂道に名前はあるんでしょうか・・。




  なかでも、駄菓子屋の脇を通つて高崎神社の裏に出る
  一番小さなこの坂道が好きでした。




  今でも、ここを歩くと40年以上前のことを思い出してしまいます。
    小生意気な、夢だけの、ひとつの私の時代でした。   

 


  やはり、この街が好きなんだと思いました。

  

2011年02月14日

あれサッカー場が・・・

   あれ! 街中にサツカー場がある。

       池もあるよ!

   音楽センターがここだから・・・

    場所は・・・ よく分かりません。

   でも、あればいいな・・・。




  

2011年02月14日

この四本辻は

   江戸時代の法輪寺の描いてある絵図です。
    左右に横断している道は旧中山道です。」

   江戸初期までは、安国寺・大信寺・法輪寺をつなぐ
    この道が中山道でした。

   寺への参道と旧中山道が交差するこの四本辻が、今日のお話です。



  明治30年の”高崎街全図”の一部です。
  廃寺になった真応寺と法輪寺が、
  北通町と書かれた道と四本辻、
  でも十文字でなくて、筋違いですね、




  四本辻は、黒澤薬局、高崎タイピスト、仲居屋フルイ店、山口肉店ですね。  
  昭和35年頃の住宅地図です。
  薬屋と肉屋さんは、現存してますね。




  そして、これが今現在の町並みです。
  おざき文具店(閉店しました)  
  東京ガスや法輪寺保育園が見えますね。



  クロサワ薬局さんです。


  金古の帽子屋さんです。
 

  ざつと、この四本辻のたかが200年でした。  

2011年02月05日

高い所から失礼します

   ライオンズの七階からの風景です。

     ”片岡の山野辺”と”高崎田町の往還道”

   豊田園と手塚の歯医者の屋根、

       お隣は浄土宗善念寺の参道でした。



  

2011年01月12日

遠堀めぐり(Ⅰ)赤坂あたり

  ここは何処だとおもいますか・・。
  
    そうです、赤坂町と四ッ谷町との境界線です。
  
  弥助寿司とクイーンヒル赤坂の間を東西に走る水路です。

  かつてここも、遠堀の一部でした。  

  

  ”新井堰から取水した用水堀は、住吉町、相生町、
    四ッ屋町の西側を通り赤坂町の境で分水、
   西は赤坂町境から長松寺に流れ、東は埋樋で、
     三国街道を横切り、遠堀へ流れる”
               (高崎の散歩道より)







 上の写真をズームしました。
  かすかに、渋川街道(三国街道)が見えます。



  反対方向です、
  長松寺の方に西流してます。
  
タグ :遠構え遠堀


2010年11月13日

象と馬と猫と亀

  

2010年10月24日

音楽センター




    オープン・カフェと野外コンサート・ホールが

             音楽センターの前に描かれています。

     室内はこんなにモダンな壁絵があったんですね・・・・。

          名曲堂さんや雪草楽器さんや

           BOOYの松井恒松さんが熱く語っていました。


  

2010年09月28日

変わらない三角形

    ①文化七年(1810年)の絵図です。
    覚法寺、熊野(高崎神社)の文字が見えます。
    木戸や城代組屋敷も確認できます。



    ②明治30年(1897年)の地図です。
     柳川町、堰代町、熊野社、恵徳寺の文字がみえます。


    ③昭和35年(1960年の住宅地図です。
      まだ道路の拡張する前です。 
      天引医院、柳川郵便局、小林理髪店もあります。


    ④平成12年(2000年)の住宅地図です。
      ホワイト・インがあります。



   *ほとんど変わらない三角形の土地がありました。
   *200年間も不変の、貴重な三角形です。  



  


2010年09月16日

変わらないもの(成田山の入口)

 私が最初に見たのは、多分昭和30年頃だとおもいます。

  二枚目の写真は大正時代とのこと、

  当時とほとんど変わっていないのに驚きました。

 高崎に生まれ育った者はみんなそれぞれの思い出がある場所ですね。 

   そんな、話を聞いてみたいと思います、是非コメントを・・・。


  


2010年09月14日

アルフォンスミュシヤ展(9/18~11/7)

                   (1860-1939)

①黄道十二宮 ②サラ・ベルナール ③モナコ・モンテ・カルロ ④花 ⑤メディア ⑥闘う魂 ⑦蛇のブレスと指輪 ⑧ジスモンダ


  

2010年09月13日

市役所辺り(高崎市制110周年)

110周年記念・日曜市議会が13時からということで傍聴のため市庁舎にいきました。

ミュシヤ展が9月18日からはじまるそうです。180点の展示だそうです。堺市はずいぶん所有してるようですね。 

マリオネット展も9月11日から始まっていました。チエコのブルゼニ市との姉妹都市の関係なんですね。

遅い昼食のためスズランへ行く途中の音楽センターの横で、ドラムとベースとサックスとハープを見っけました。

それと、お濠の土手添いに、よく見ると五線譜のヘンスがありました。






  

2010年09月09日

人のいないところ

         ひっそりとしてました。 
          虫が鳴いてました。

    涼しくなったので、夜の散歩です。 

  人っこ一人いない結婚式場の庭は、神秘的でした。 

       どうか神様、このまま永久に無人でありますように・・・。



  

2010年09月07日

電車軌道専用道


明治36年(1903年)から昭和30年(1955年)まで高崎に路面電車が動いていました。
ほぼ高崎駅から渋川行きのバス路線ですが、一区間だけ違いました。

住吉町の四つ角を過ぎて大橋の手前で右折をして電車専用道に入りました。 
この電車道は西山製菓店と泉氷屋の間を入り大川を渡り、電車山を越えて飯塚車庫へ向かっていました。

まさに、写真のこの場所に鉄橋がありました。

 母に聞くと、何度か渋川の親戚の家に行くとき乗ったといいますが、なぜか記憶に有りません。

この路地を電車が行くのを、時々想像している時があります。 

    *復刻版でも走るといいなと思う次第であります。

  
タグ :ガタ電


2010年08月21日

旧ハローワーク館・・?

請地町のココスの前です。

ここはかつて、高崎公共職業安定所との噂をききました。

秋には両サイドの銀杏の黄葉がみごとです。


  

2010年08月15日

大橋町256番地(物心ついた時と同じもの)

 高崎商科大付属高校の体育館です。
    当時は佐藤学園、もしくは佐藤技芸の体育館でした。 
 私が物心ついた時と、恐らくは、ほとんど変わっていない、
     唯一の建物だと思います。
 

 大橋町256番地。ここで私は生まれました。
   もちろん借家、もちろん産婆。 
        いまこの番地は地図上に存在しません。 
 父の本籍地は死ぬまでここでした。 
      私は結婚時に現住所に変えてしまいました。


 この不正確な昭和35年の住宅地図。 
      佐藤技芸も大谷仕切店も中山洋服店もありますが、 
   私の生まれた家はありません。 
        じつは、この一年前に現住所に移転しました。  
 

       ときどき 
          思いついたように 
               この路地を歩くことがあります。 
 
       全てが変わってしまった 
              記憶の路地を・・・。 

   私の子供よりも若い父や母が 

        今の私よりも若い祖父や祖母が 

            路地奥から不意に現れる気がするからです。  
タグ :佐藤学園


2010年08月04日

よみがえる姫と消えた稲荷

 内山信次さんの”ぶらりたかさき”という本に
   ”一所一勝”として市内の名所が88ヶ所が載ってます。 
 今回はそのうちの№82の山田町の浅間神社と、
    №79の宝寿神社のお話です。
  












































 最近の上毛新聞の記事に ”木花開耶姫命”(このはなさくやひめ)の リニューアル・オープンがありました。

 昨年までは道角に肩を狭めるようにありました。所有者が土地を寄贈したとのことです。

 御一新で江戸表より帰藩した藩士を居住させ明治4年に山田町が出来ました。 
 その守護神として城内の富士浅間神社が移されたようです。

 ちなみに、大正十三年に作られた山車にはこの姫の人形が飾られています。




 
 北小の西の通りにあつたこのお稲荷さん、今は跡形もありません。 

 数年前までは、たしかに存在してたのに・・・・。 

 昭和10年に東京太々講の寄進した立派な御影石の鳥居が、記憶の中にあります。  

2010年07月31日

散歩の途中で・・・”

①並榎町の390番地辺り    ”仁王の首二つ”  ”あ・うん・の門”
   常仙寺の石段下にある天守閣のある家の門
  

























































②並榎町の300番地辺り    ”猫と戯れる老人”   ”戯猫庵”
 ”水道みち”とよばれた道と分かれてR354を渡って常仙寺に下る
      小道添いの右側の家の門 

  

2010年07月26日

三つの看板


      ①小ジャレた看板ですね・たぶん九蔵町です。











































     ②自転車て、質草になったんですね・山田町です。










































     ③ご存知珍竹林です・立派に田町です。
  

2010年07月25日

創立のわかる看板



九蔵町の金物屋さん 

”中山道高崎宿史”には

安永年中創立とのこと 

安永年中とは 

1789年~1800年

だとすれば 

Since1700とは・・・・・







 

新町(あらまち)の石屋さん 

弘化2年とは1845年のこと 


たとえば、お茶の豊田園は 
文化年中創立という 
(1804年~1817年) 

たとえば、藤崎総兵衛商店は 
宝永6年(1769年)  


大通りを看板を見ながら歩いていたら 
とりあえず、二つの創立を見つけました。