我が家の近くのバス停にすでに無くなって数十年経つのに、いまだにバスストップの標識が家畜市場前とあるのにきずいた。
本郷回り室田行き、北高崎から三つ目の停車場の事です。先日、図書館でコピーした昭和36年度の住宅地図をひろげてみる。何故に昭和36年度かというと、これが一番古い住宅地図、正確には34年度があったのですが、一冊に高崎と前橋が載っていて旧市街地だけ、勿論手書きです。
地図をみます。高前バイパスは存在しません。高崎家畜市場がありました、大谷食堂がその前にあります。ホルモン焼きが有名で、子豚市の日は特に繁盛していました。が、火事で焼けてしまいました。寒い時季の事だったとおもいます。その東に、バイバス上に高崎家畜保健衛生社とあります。
隣が菓子店、理髪店、自動車修理工場、材木店、そして我が第四中学校とつづいています。新室田街道は勿論、バラス道。
ふと気付くと五十年前の話をしている訳なんですね。家畜市場前バス停の名前の永久保存を進言します。
せめて、名前だけでも過去の記憶を、とおもうのは捨蚕だけでしょうか。
話はとびますが、下小塙歳時記とう本に、昭和初期のバス停風景として二軒家停留所のことが、書いてありました。
今の高経大のところです。山王様の森(護国寺の西の日枝神社)から二軒家までは淋しい一本道だったそうです。
とある生け垣に赤い旗を立てておき、アガリハナで、お茶を飲みながら世間話に興じていると、バスの警笛がして、時には車掌さんか、呼びに来てくれたそうです。
その停車所は多分、家畜市場前から二つ目だとおもいます。