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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年01月11日

捨蚕の俳句のすすめ・ その壱

゛ゆさとしてもののけ通る萩の暮れ。゛
(11月27日 タカタイ俳壇入選作)
黄昏れ時、鬱蒼とした萩の原を、秋の風が吹きわたる。ゆさゆさと、巨大な恐竜の歩みのように、萩の原がきしむように、揺れ動く。物の怪の移動のように。ルドンの一つ眼の怪人のように。
それにしても、もののけ姫はよかった。
松井田の五料に、萩の館がある。高台にある家の周りをぐるりと萩が囲んでいる。ひと抱えもふた抱えもある萩の株が、あたかもそれぞれの意志で揺れ動いているかの様だった。壮観であった。  

Posted by 捨蚕at 22:30
Comments(1)俳句のすすめ

2010年01月11日

小発見シリーズ 其の七家畜市場前

我が家の近くのバス停にすでに無くなって数十年経つのに、いまだにバスストップの標識が家畜市場前とあるのにきずいた。

本郷回り室田行き、北高崎から三つ目の停車場の事です。先日、図書館でコピーした昭和36年度の住宅地図をひろげてみる。何故に昭和36年度かというと、これが一番古い住宅地図、正確には34年度があったのですが、一冊に高崎と前橋が載っていて旧市街地だけ、勿論手書きです。

地図をみます。高前バイパスは存在しません。高崎家畜市場がありました、大谷食堂がその前にあります。ホルモン焼きが有名で、子豚市の日は特に繁盛していました。が、火事で焼けてしまいました。寒い時季の事だったとおもいます。その東に、バイバス上に高崎家畜保健衛生社とあります。
隣が菓子店、理髪店、自動車修理工場、材木店、そして我が第四中学校とつづいています。新室田街道は勿論、バラス道。
ふと気付くと五十年前の話をしている訳なんですね。家畜市場前バス停の名前の永久保存を進言します。
せめて、名前だけでも過去の記憶を、とおもうのは捨蚕だけでしょうか。

話はとびますが、下小塙歳時記とう本に、昭和初期のバス停風景として二軒家停留所のことが、書いてありました。
今の高経大のところです。山王様の森(護国寺の西の日枝神社)から二軒家までは淋しい一本道だったそうです。
とある生け垣に赤い旗を立てておき、アガリハナで、お茶を飲みながら世間話に興じていると、バスの警笛がして、時には車掌さんか、呼びに来てくれたそうです。
その停車所は多分、家畜市場前から二つ目だとおもいます。
  

Posted by 捨蚕at 16:50
Comments(2)上並榎シリーズ

2010年01月11日

小発見シリーズ 上並榎周辺( 5)

天龍護国寺には、延長六年(928年)醍醐天皇の勅命により、小野道風の真筆による勅額がある。(平安の三跡の一人にて野跡と云う)創建の六十四年後、勅額は京より東山道を下って運ばれました。機内、近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、上野国、下野国、それぞれの国府へと通じる官道である東山道は 、信濃国の最後の駅(うまや)である長倉の駅を過ぎると碓氷の峠。越えると上野国。坂本、野尻、群馬、佐位、新田の五駅がある。野尻駅は今の安中、板鼻から北上し若田原を通って烏川へ、ほぼ今の県道安中前橋線にそって、国府、そして群馬(くるま)駅へと延びていたとおもわれる東山道。
ここで、一休みがてら上小塙の稲荷山古墳の上に立ってみましよう。一千年以上の昔を思いつつ、想像力だけを全開にして。参考までに、この古墳の上が烏子(すなえご)神社です。迷道院さんの11月25日のブログの記事を参照ください。
さて、延長六年の景色です。東山道が一直線に国府に向かって延びています。そのさき北東の方向に高さ60メートルもある塔がみえます。前橋市庁舎に匹敵する高さは、そうです上野国分寺七重塔です。その先を利根川が流れ、赤城山が裾野をながく、横たわっています。南の方向には、我が天龍護国寺が、烏川の辺に八堂伽藍と僧坊三百を配し、京都比叡山の方に向いて建っています。もちろん四辺の古墳上に護国鎮国の四社を配してです。
そして、三百六十度、数多くの古墳が、大小の人造構造物が、点在しているのが、見渡せるはずです。

多少とも一千年以上前の風景をイメージできましたら、幸いです。
では、これにてひとまず上並榎周辺の小発見を幕といたします。ああしんど。
一応一句・・貧乏人地図みて遊ぶお正月。
  

Posted by 捨蚕at 12:30
Comments(2)上並榎シリーズ