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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2011年07月10日

神戸港のこと

神戸港から明石海峡大橋までの
ランチ・クルージングをと思い立ち、
神戸駅に降り立ちました。


開港当時の錦絵のモザイクの壁面


キリンのオブジェがありました



プレスリーがいました。


意味不明な郵便ポスト


高浜岸壁を曲がると
廊下の隅のような所に
黒い不気味な潜水艦が・・。


向こうに見えるのは、六甲山・須磨それとも一の谷。
  ”デッキからみる一の谷 午睡かな”
           ステゴ
  

2011年07月09日

有馬温泉のこと

江戸時代にできた”諸国温泉効能鏡”によると、
東の大関が上州草津湯に対して、西の大関は摂州有馬湯だそうです。

有馬温泉には、金泉と銀泉があります。
金は赤褐色の含鉄塩化ナトリウム泉、銀は無色透明の二酸化炭素冷鉱泉。

この銀泉から造られたのが、この”てつぽう水”だそうです。
栓を抜くときにポンと音がしたところからの、命名だそうです。

昔の絵葉書の写真集をみていたら、
草津と軽井沢、有馬と六甲山が対になりました。

最後の写真は金泉の源泉の一つの天神泉源です。




  

2010年12月04日

京都十写

   嵯峨野の天龍寺あたりの土塀です、古瓦の再利用でしょうか

  ”行きも大丸、帰りも大丸”(大丸発生の地・伏見区京町の呉服店大文字屋)

   地下鉄京阪鴨東線 南座のもより駅  

   清香山玉泉寺寂光院 四方正面の池の錦鯉 

   今出川通の、和韓料理”双味亭”のおどろおどろした天井絵 

   ホテル八瀬離宮の化野(あだしの)のようなエントランス

   東本願寺の山門を見上げると・・・

   方広寺前の古食堂 僕はきつね丼 妻はよもぎ蕎麦

   渡月橋あたりの舟下り   

    群馬行きのバスストップ 目が覚めると高崎 ああ”京の夢”
  

2010年12月03日

後ろの正面・・・

    正面通りが、高瀬川を渉るところにある正面橋です。

           どこの正面かというと、大仏さまの正面でした。

     かっては奈良、鎌倉と並んで日本三大仏だったそうです。





 原作 愛英史   漫画 里見桂
 ”ゼロ” vol・48より



     豊国神社の正面
 


     ”国家安康 君臣豊楽”の鐘楼




     本願寺と豊国廟を結ぶ東西ラインを

     家康は東本願寺と智積院とで、分断したという。 

 


      ”京の京の大仏つあんは 
           天火で焼けてな  
              三十三間堂が焼け残った 

         アラどんどんどん 
                コラどんどんどん  

               後ろの正面どなた”   
                           (京のわらべ歌)  


2010年11月30日

黒い帽子のある風景

        八瀬のホテルの窓から、叡山鉄道の終着駅付近




    東福寺のお休み処と通天橋の紅葉






   渡月橋の近くで”おでん”  見下ろすと桂川に鯉




   四条小橋に黒帽子、橋を渉れば祇園あたり




   旅の終わりはセピア色

  

2010年11月29日

南座・四条河原の歌舞伎者

    南座の上部の左から三つ目の”まねき”に

    勘亭流で書かれた、いま話題の市川海老蔵の名前

     人ごみの中から、突然にカメラとインタビュー        

    ミヤネ屋ですが、海老蔵さんの魅力は・・・

     ”そりや、なんてったって眼力(めじから)でんなー”

           なぜか関西弁で答えるステゴでした。




    四条大橋には托鉢僧が二人ばかり・・・

      11月30日からは南座の顔見世興行です。

    そういえば、河原町の蛸薬師の近江屋さんもこの手前すぐ         

        昨日で龍馬伝も最終回

     たしか、慶応三年十一月十五日の午後八時頃のことでした。




  常設芝居・・・延宝四年頃(1676)には四条通の南に三軒、北側に二軒、縄手四条上ル西側に一軒、都合六軒あった。 
          幕末には南北二座となり、明治二十七年四条通拡張により北座を廃し、南座のみとなる。




  


2010年11月28日

寂光院(弐) おうすどすえ

      茶室”弧雲”には入れませんでしたが、

    不思議とひと気のない、座敷でお薄をいただきました。    

     紅葉の真っ盛りの静かな秋の日のことでした。






     茶室”弧室”です
     (平家物語の灌頂巻の大原行幸より命名)

      障子には諸経の要文ども、色紙に書いて所々に押されたり。

       その中に大江定基法師が、清涼山にて詠じたりけん、

          ”笙歌はるかに聞こゆ 
                弧雲のうえ
           聖衆来迎す 落日の前”
      
                   とも書かれたり。

  

2010年11月28日

寂光院(壱) おぼろのしみず

    明治四十三年六月に建てられた道標を右へ辿ると
   
          三千院から寂光院に至る道の辺に見つけた

             朧清水(おぼろのしみず)


     そういえば、寂光院の山号は清香山、寺号は玉泉寺






     安永九年(1790)京都の吉野家為八から出版された”都名所図会”の
            ”巻之三目録 左青龍”のうち 

             よく見ると絵図の右下に朧清水

       ”むかしより名高き清水にして、和歌に詠ずること数多し”

           水草ゐし朧の清水 底澄みて・・・
           入る月の朧の清水いかにして・・・
               ・・・朧の清水なつもしられず
           わが恋は朧の清水岩こえて・・・
           まれにこし朧の里にすみなれて・・・・