実は、お神明様でもう一つの小発見がありました。
石の祠です。文字が刻んでありますが、摩滅してよく読めません。
本で調べたところ、①庚申塔であること②明暦二年(1656年)の日付のあること③12名の建立者名のあること、が判明しました。
そしてこの石宮は庚申山といわれた古墳上に有ったものだそうです。
昭和10年の古墳総覧には、この古墳は見当たりません。
(以前、上並榎在住のご高齢の方に、”こうしんやま”と”こくうぞうやま”の話を聞いたことがあります)
”こくうぞうやま”は古墳総覧の六郷地区に載っています。
住所は”上並榎屋敷前676”で、第20号虚空蔵山、円墳とあります。
そのすぐ南の660番地あたりに庚申山古墳はあったようです。
いつごろに祠を”お神明様”に移したかは、不明です。
建立者の12名のうち6名が高橋姓で、2名が山口姓と富田姓、ほかに中原藤三郎、簗瀬半右衛門とあります。
現地で聞き歩けば、いろいろなことが判明するのでしょうが・・・。
そうそう、この”お神明様”も前方後円の第220号神明塚古墳でした。
石の祠です。文字が刻んでありますが、摩滅してよく読めません。
本で調べたところ、①庚申塔であること②明暦二年(1656年)の日付のあること③12名の建立者名のあること、が判明しました。
そしてこの石宮は庚申山といわれた古墳上に有ったものだそうです。
昭和10年の古墳総覧には、この古墳は見当たりません。
(以前、上並榎在住のご高齢の方に、”こうしんやま”と”こくうぞうやま”の話を聞いたことがあります)
”こくうぞうやま”は古墳総覧の六郷地区に載っています。
住所は”上並榎屋敷前676”で、第20号虚空蔵山、円墳とあります。
そのすぐ南の660番地あたりに庚申山古墳はあったようです。
いつごろに祠を”お神明様”に移したかは、不明です。
建立者の12名のうち6名が高橋姓で、2名が山口姓と富田姓、ほかに中原藤三郎、簗瀬半右衛門とあります。
現地で聞き歩けば、いろいろなことが判明するのでしょうが・・・。
そうそう、この”お神明様”も前方後円の第220号神明塚古墳でした。