”並榎三木”とは、いちょう(公孫樹)、ぼだいじゅ(菩提樹)、えんじゅ(木偏に鬼)の樹でした。
場所は天龍護国寺の西隣の日枝神社の周辺にありました。
日枝神社は天龍護国寺の守護社として、近江国坂本から分社されこの地に祀られました。
その時に、三本の若木が移植されたと云われています。
護国寺の創建が864年と謂われてますので、なんと1146年も前のことです。
この”山王様の森”に、いつ頃まで並榎三木は存在していたのでしょうか。
最初に無くなったのは、菩提樹でした。残りの二本は戦後までありました。
”山王様の大銀杏”は、高崎随一の古木、名木、大木でした。
昭和32年秋、落雷のため樹齢千百年の大木は無くなりました。
写真のとおり、残りの一本は健在です。(樹齢の程は分かりませんが)
(”えんじゅ”の大木に花がさいています)
榎保育園の裏庭にあったという、銀杏の大木の残骸を探して見ました。
子供の頃、父に連れられて見た記憶があるのですが・・・。
少し違うような気がしますが、とりあえず、この樹とすることにしました。
(保育園の裏庭に、子か孫の銀杏の切株がありました)
場所は天龍護国寺の西隣の日枝神社の周辺にありました。
日枝神社は天龍護国寺の守護社として、近江国坂本から分社されこの地に祀られました。
その時に、三本の若木が移植されたと云われています。
護国寺の創建が864年と謂われてますので、なんと1146年も前のことです。
この”山王様の森”に、いつ頃まで並榎三木は存在していたのでしょうか。
最初に無くなったのは、菩提樹でした。残りの二本は戦後までありました。
”山王様の大銀杏”は、高崎随一の古木、名木、大木でした。
昭和32年秋、落雷のため樹齢千百年の大木は無くなりました。
写真のとおり、残りの一本は健在です。(樹齢の程は分かりませんが)
(”えんじゅ”の大木に花がさいています)
榎保育園の裏庭にあったという、銀杏の大木の残骸を探して見ました。
子供の頃、父に連れられて見た記憶があるのですが・・・。
少し違うような気がしますが、とりあえず、この樹とすることにしました。
(保育園の裏庭に、子か孫の銀杏の切株がありました)