
中村俊達(なかむらとしたつ)
観音山・清水寺の田村堂にある”高崎藩三十六勇士”の木像の一つです。
木像堂由来には、
”元治元年武田耕雲斎等
攘夷を唱えて水戸藩を脱して京都に向かうや
幕命により高崎藩士
これを下仁田町の小坂に討ち
三十六名の戦士者を出す、
ここにその木像を安置して
忠誠を永遠に伝えるものである”
とあります。
(大正二年、下仁田戦争五十周年を記念し、戦死者の木像が祭られました)
明治29年11月16日上野鉄道の開通の除幕式の日、
下仁田の小学生が二列に並んで、こんな歌を合唱しながら行進したそうです。
元治元年 霜月の
十六日の 朝まだき
高崎藩の 二百人
筑波おろしの 武田勢
一千余人の 戦いに
打出す砲声 ものすごく
鎬(しのぎ)を削る 太刀かぜに
打死なせし その数は
合わせて 三十余人なり
またこの戦争には、高碕藩から三人の医師が従軍します。
そのうち、二人が戦死しました。
(正確には、共に負傷者の手当て中に、一人は戦死、もう一人は捕らえられて下仁田青岩河原にての切腹でした)
下条元理(34歳)と、今回の主人公である山名村の医師、中村俊達です。
元冶元年(1864年)十一月十六日のことでした。
明治になる、ほんの四年前の出来事でした。
山名八幡宮には大正十五年四月十五日建立の”中村家三世ノ碑”があります。
石段の左手の社務所の裏に、傾きかけてひっそりと、この石碑があります。
子爵・大河内輝耕の撰ならび書とあります。
高崎藩最後の藩主、大河内輝声の三男の方とのことです。
(続きはこの碑にそった話になる予定です)