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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年12月26日

吉兵衛さんのお墓見っけた

  ① 俗名 清水吉兵衛
    ついに見つけました。



  ② 戒名 実厳良台居士
          嶺雲栄松大姉(たぶん吉兵衛夫人)



  ③ もしかしたら、古墳跡かとおもわれるような墓地でした。
 
    もしかしたらその後、天台宗のお寺があつたような気がします。
     
    なぜなら、すぐ北にある神明宮(神明塚)の小字名は山王裏ですので・・・。        

    いずれにしても、”特別な場所”ではなかつたかと、思えてなりません。

  

Posted by 捨蚕at 23:13
Comments(1)下並榎シリーズ

2010年12月21日

吉兵衛さんを訪ねて

 短足おじさんの、なぞなぞのような言葉を頼りに、ついに見つけました。

 並榎町の340番地辺り、こんな所に墓地があったんですね。

 でも吉兵衛さんの名前は見つかりませんでした。

 明治十五年に60歳で亡くなった清水吉作さんの立派なお墓がありました。
 文政年間の生まれのようですね・・・同時代の方ですかね・・。





    常盤町と歌川町の境のマンションの谷間のようなところに、
     昔の吉兵衛堀を想わせるような、堀を発見しました。
      水の流れは思いのほか速くて綺麗でした。
        コンクリートでない石積みはいいですね・・・。
                 

  
タグ :吉兵衛堀


Posted by 捨蚕at 08:55
Comments(2)下並榎シリーズ

2010年11月22日

吉兵衛さん 見っけた

    写真の古文書の二行目に、並榎村 清水吉兵衛の名前があります。   

    これは安政ニ年十二月十八日付の碓氷郡高別当村の御触書写帳です。

    払い米50俵を並榎村の清水吉兵衛方まで21日までに、
            付け送り渡すことを依頼した内容がかかれています。




   この碑は並榎町の神明宮にある”御嶽山座王大権現”の石碑の裏面です。

     慶応二年十二月と清水吉兵衛の文字が確認できます。



      *つまり吉兵衛堀で有名な並榎の名主清水吉兵衛の名前を
               偶然に見つけたというお話でした。     




      

Posted by 捨蚕at 00:40
Comments(3)下並榎シリーズ