グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年05月21日

もしかしたら・高崎炎上 (十九の堰の物語Ⅳ)・新井堰

 




















高崎志に”用水掘ハ当住吉町ノ北西ノ背ヨリ支水ス、是ヲ新井堰ト呼ブ、スナワチ駅内ノ用水ノ源ナリ”とあります。   

元冶元年11月に天狗党が高崎に近付いた時も、明治2年10月の五万石騒動の時も、”新井堰の水の手を止めて城下に火を放つ”という、噂がまことしやかに流れたそうです。 
当時の人々にとっては、周知のことだったんですね

もしも、長岡藩や会津藩のように、高崎藩が薩長の官軍と戦ったとしたら。 

官軍はまず、新井堰を占拠し、城内への水の手を押さえたでしょう。
そして北西からの風を期して火を放したことでしょう。
さらに七口のうちの、中山道の常磐町口から、室田街道と三国街道からの隊は相生町口に、また一隊は江木新田口から怒涛のように攻め寄せたでしょう。

ここ新井堰は、まさに攻城の要所であり、最大の激戦が予想されます。 

敗れた藩主等は、西の丸あたりから烏川を下り、舟で江戸へむかつたかもしれませんね。

高崎城下が灰燼に帰さなかったことを、先人に感謝しなければとおもいます。 


  大きな樹が、長野堰を見下ろしています。 
  三本の大樹ですが、一つに見えたり、二つに見えたりします。 
  場所により一本に見えるこの巨大な樹は、
  堰のほとりで、様々な時の流れを見続けたことでしょう。 

              (十九の堰のうちの第十二番の堰です)  続きを読む


Posted by 捨蚕at 20:59
Comments(0)十九の分水堰

2010年05月21日

かるがも

 








































かるがもの親子をみつけました 

    大川の請地堰のところでした。 

     小さな男の子とお母さんが 
      
          覗き込んでいました。

この、ほほえましい風景の 

        いつまでも続くことを祈りつつ 

                   とおりすぎました。  

Posted by 捨蚕at 06:53
Comments(2)小発見シリーズ