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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年11月30日

黒い帽子のある風景

        八瀬のホテルの窓から、叡山鉄道の終着駅付近




    東福寺のお休み処と通天橋の紅葉






   渡月橋の近くで”おでん”  見下ろすと桂川に鯉




   四条小橋に黒帽子、橋を渉れば祇園あたり




   旅の終わりはセピア色

  

2010年11月29日

南座・四条河原の歌舞伎者

    南座の上部の左から三つ目の”まねき”に

    勘亭流で書かれた、いま話題の市川海老蔵の名前

     人ごみの中から、突然にカメラとインタビュー        

    ミヤネ屋ですが、海老蔵さんの魅力は・・・

     ”そりや、なんてったって眼力(めじから)でんなー”

           なぜか関西弁で答えるステゴでした。




    四条大橋には托鉢僧が二人ばかり・・・

      11月30日からは南座の顔見世興行です。

    そういえば、河原町の蛸薬師の近江屋さんもこの手前すぐ         

        昨日で龍馬伝も最終回

     たしか、慶応三年十一月十五日の午後八時頃のことでした。




  常設芝居・・・延宝四年頃(1676)には四条通の南に三軒、北側に二軒、縄手四条上ル西側に一軒、都合六軒あった。 
          幕末には南北二座となり、明治二十七年四条通拡張により北座を廃し、南座のみとなる。




  


2010年11月28日

寂光院(弐) おうすどすえ

      茶室”弧雲”には入れませんでしたが、

    不思議とひと気のない、座敷でお薄をいただきました。    

     紅葉の真っ盛りの静かな秋の日のことでした。






     茶室”弧室”です
     (平家物語の灌頂巻の大原行幸より命名)

      障子には諸経の要文ども、色紙に書いて所々に押されたり。

       その中に大江定基法師が、清涼山にて詠じたりけん、

          ”笙歌はるかに聞こゆ 
                弧雲のうえ
           聖衆来迎す 落日の前”
      
                   とも書かれたり。

  

2010年11月28日

寂光院(壱) おぼろのしみず

    明治四十三年六月に建てられた道標を右へ辿ると
   
          三千院から寂光院に至る道の辺に見つけた

             朧清水(おぼろのしみず)


     そういえば、寂光院の山号は清香山、寺号は玉泉寺






     安永九年(1790)京都の吉野家為八から出版された”都名所図会”の
            ”巻之三目録 左青龍”のうち 

             よく見ると絵図の右下に朧清水

       ”むかしより名高き清水にして、和歌に詠ずること数多し”

           水草ゐし朧の清水 底澄みて・・・
           入る月の朧の清水いかにして・・・
               ・・・朧の清水なつもしられず
           わが恋は朧の清水岩こえて・・・
           まれにこし朧の里にすみなれて・・・・



  

2010年11月23日

内村鑑三(高崎人物図鑑第8回)

            ”昭和三年十月十九日の日記より抜粋"  

十月十九日(金)晴。上州高崎光明寺に妻と共に先祖の墓に参る。墓参を終へて後に烏川の畔に至り、遥かに榛名碓氷の連峰を眺めながら我が少年時代のこと共を思い出した。
柳川町に我が父の家の跡をたずねた。初めて手習いに行きし白井老先生の邸宅の前を過ぎた。熊野神社は我が迷信時代の崇拝物である。この日丁度その祭礼であった。凡てが六十年前のことである。山の形はかわらず、川は依然として流れる。
そのなかに我が少年時代の友なる淡水魚類は棲む。ただ漁に耽る我を誡める父の声を聞かない。

     
            昭和五年三月二十八日朝死亡。 
             妻は三度目の妻である”シズ”。
            札幌農学校では水産学を専攻し
             北海道開拓使勧業課漁猟科に勤務。   

              光明寺は若松町にて真言宗。
              熊野神社は高崎神社のこと、
              10月19日は秋の例大祭。



       ”明治六年の旧高崎藩貫属明細短冊帳上巻”です

  鑑三の父は内村宣之、祖父は内村善八、
            高祖父は内村丑之助その父は内村杢兵衛。 

  第五区小一区百三十六番屋敷とは上記の柳川町の父の家。

  文久元年三月二十三日に江戸小石川鳶坂の藩武家長屋生まれ。

  父の謹慎に伴い柳川町に移り住んだのは慶応二年十二月、鑑三五歳の時。

  明治六年には、東京外国語学校入学のため東京へ出ています。

  その間に父の石巻県への赴任等もあり、高崎に居たのは
               70歳の人生のうち約5年間だけのようです。

  

Posted by 捨蚕at 20:35
Comments(0)高崎人物図鑑

2010年11月22日

吉兵衛さん 見っけた

    写真の古文書の二行目に、並榎村 清水吉兵衛の名前があります。   

    これは安政ニ年十二月十八日付の碓氷郡高別当村の御触書写帳です。

    払い米50俵を並榎村の清水吉兵衛方まで21日までに、
            付け送り渡すことを依頼した内容がかかれています。




   この碑は並榎町の神明宮にある”御嶽山座王大権現”の石碑の裏面です。

     慶応二年十二月と清水吉兵衛の文字が確認できます。



      *つまり吉兵衛堀で有名な並榎の名主清水吉兵衛の名前を
               偶然に見つけたというお話でした。     




      

Posted by 捨蚕at 00:40
Comments(3)下並榎シリーズ

2010年11月21日

ターシャの庭を目指して

            TASHA TUDOR(1915~2008) 92歳永眠
 56歳でバーモント州の山奥に18世紀風の農家を建てて一人暮らしを始める。   

            もし、ターシャの歳まで生きられれば、あと30年間
          
    ”むくの庭”は”ターシャの庭”にどこまで近ずくことができるだろうか・・・。   
      
    手を抜くと、一年で原野に戻ってしまう この庭。           

    30年計画で、こつこつと日々作業をすれば、 

    今日の作業が完成に到る一万分の一の作業であれば・・・・。

    自然との闘いと共存   永遠に未完の庭       

      シジフォスの神話に挑む初老のステゴ・ザウルス一世です。




  


Posted by 捨蚕at 10:03
Comments(0)むくのいる庭

2010年11月19日

神の留守

     我が家の屋敷神も 出雲の国へ旅をしていて留守なのでしょうか

         壊れかけたお狐も 寂しそうにこちらを見ています      

          神さまが旅から帰ったら 屋敷稲荷祭です        



           留守のまに あれたる神の落葉かな     芭蕉

             お稲荷を一尺ずらす 神無月         捨蚕

  


Posted by 捨蚕at 09:12
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2010年11月18日

ぼくがオーナーです





  

Posted by 捨蚕at 08:19
Comments(0)むくのいる庭

2010年11月14日

十一月句会

         句会の会場の入口の狐の面とトイレのススキです。
            ちなみに
       トイレの右下はシルクロードという名前の香炉です。       

       今月の出席は六名です、したがつて全部で18句の俳句です。



  (二点句)は6句でした

       神渡る 吊るすもの皆 音たてて             信子
       
       くだら野や 銀蝶胸に留めておく             豈石

       ララバイとアザミ束(たば)して暮れ野道         捨蚕

       海月(くらげ)の命は永遠と聞く冬の夜          七菜

       やせ果てて冬三日月は西の方             豈石

       物干して水やつて庭 小六月               信子


  

Posted by 捨蚕at 20:52
Comments(0)俳句のすすめ

2010年11月13日

象と馬と猫と亀

  

2010年11月08日

野に咲くアザミ

          手土産にアザミの花を

      中島みゆきの唄をくちずさみながら・・・。

    ようやく出来た 秋色の野道らしきもの

      またたくまに、日暮れて アザミを手に

       帰路に着くステゴでした。

              ”どうせ私は野に咲くアザミ・・・・”





  

Posted by 捨蚕at 23:31
Comments(0)むくのいる庭

2010年11月04日

松井常松てなんだ

      出生名   松井恒ニ               
       1960年9月8日生まれ(50歳)
         BOOWY時代は松井恒松  
           1992年から常松に改名      
      直立不動のベーシスト    
       高崎倉賀野生まれ              
          氏名の中に松を二つ持つ男



  

Posted by 捨蚕at 05:34
Comments(0)小発見シリーズ