興国元年および翌二年、大津波おこりて、十三湊を壊滅す。
前を白髭、後を黒髭の大津波と称す。
(東日流六郡誌考察図解添書より伐粋)
興国元年七月十八日、大地震起こり、地下より大水わき上り、
田畑の各所、邸内はもとより、家の床下よりも噴きあがりぬ。
また、墓地よりも湧き上がれるに、白骨一面にいでなむ処あり。
道行く人々、田畑に労せる人々、ただ唖然として地に座すのみなり。
地揺れおさまりて暫くし、崩れし家をかたずくるの間、海鳴り聞こえんや、
数丈の大津波、一挙に十三湊より逆流なして見ゆ。一刻の大惨事と相成れり。
安東船、諸国の通商船数百艘、木の葉の如く、怒涛に崩れ、福島城の牧に
遊ぶる駒も、襲ふる怒涛に、千数百頭浪死す。
各村々の死者十万人・・・さながらの地獄絵図なり。かしこに在る人の骸に、
鴉ぞ唖唖として群がり、肉をついばむさまぞ、天なる怒りか、地なる憤怒か、
水なるの報復か、ただ、神仏を念ずる身なり。
写経をするような気持で、ようやく人差し指一本のタイピングが終わりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。