2010年04月24日

電車山のあったあたり(踏切シリーズ3)

 

信越線NO・2踏切は、金井踏切です。 


が、小発見シリーズ21”女学校西通”で、紹介済(2月19日)のため、  

今回はNO・3踏切の飯塚踏切です。 


(なほ、小発見シリーズ21は、踏切シリーズ2に変更させていただきました)







かって、この踏切と北高崎駅の間に電車山がありました。昭和30年に電車軌道は廃止されたそうです。 

ただし、電車山はその後もしばらくありました。写真の樹の向こう側あたりだと思います。

同級生の、のぼる君が、電車山から落ちて腕の骨接のためにしてきた包帯の白さが、勲章のように思えた記憶があります。 

母は何度か、私を連れて渋川の親戚の家に行ったといいますが、残念なことに、いくら思い出そうと思っても、乗車した記憶がありません。 


この踏切を北に行くと、清水内科の裏に字鼠屋敷をみて、長泉寺(愛隣保育園)です。
さらに北上すると飯塚村の中心地の、飯玉神社や常福寺のある、飯塚城跡にでます。 

高崎駅から2K095Mの距離にある、飯塚踏切でした。


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この記事へのコメント
飯塚在住の私には興味のある記事です。

自身高崎に移り住んで3年近くですが、電車山とは山があったということでしょうか?

電車軌道というのも鉄道ファンの私には気になりますね。
Posted by 堀 智幸(CFP認定者)  at 2010年04月24日 13:55
かって高崎~渋川、前橋~渋川、そして渋川~伊香保、とチンチン電車が走っていました。 
(詳しくは、迷道院さんの9・10・18・の電車道を参照ねがいます) 

電車山は信越線を越えるために、造られた山です。いわゆる高架線です。 

今にすれば、是非とも残しておきたい、路面電車でしたね。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年04月24日 14:47
私はこの電車のことは
見たこともイメージも有りません。
でも、母から母の叔父が
この電車の運転手をしていたと
聞いていました。
従兄弟の話では
その母の叔父は宮様が乗る時には
運転を任されたと言うことです。
その母の叔父は戦前に亡くなっていたので
戦後生まれの私には
知る由も有りません。
Posted by いちじん  at 2010年04月26日 11:27
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