
信越線NO・2踏切は、金井踏切です。
が、小発見シリーズ21”女学校西通”で、紹介済(2月19日)のため、
今回はNO・3踏切の飯塚踏切です。
(なほ、小発見シリーズ21は、踏切シリーズ2に変更させていただきました)
かって、この踏切と北高崎駅の間に電車山がありました。昭和30年に電車軌道は廃止されたそうです。
ただし、電車山はその後もしばらくありました。写真の樹の向こう側あたりだと思います。
同級生の、のぼる君が、電車山から落ちて腕の骨接のためにしてきた包帯の白さが、勲章のように思えた記憶があります。
母は何度か、私を連れて渋川の親戚の家に行ったといいますが、残念なことに、いくら思い出そうと思っても、乗車した記憶がありません。
この踏切を北に行くと、清水内科の裏に字鼠屋敷をみて、長泉寺(愛隣保育園)です。
さらに北上すると飯塚村の中心地の、飯玉神社や常福寺のある、飯塚城跡にでます。
高崎駅から2K095Mの距離にある、飯塚踏切でした。