
(踏切シリーズ・№リスト)
№1 前橋街道
№2 金井
№3 飯塚
№4 三国街道
№5 紡績
№6 西小学校前
№7 室田街道
№8 南
№9 お堂
№10
№11 八幡
№12 八幡大門
№13
№14
№15 第九中仙道
これまで順調に進んできた、この踏切シリーズですが、二つばかり問題点が発生しました。
第一番目は№10,13,14の踏切の不存在の問題です。
二番目には”第九中山道”の第九の意味です。
高架などによって踏切が廃止になった場合、欠番となるルールはあるようです。
日本橋からここまでの間に、高崎線を渡る踏切が八箇所あると言うことなのでしょう。
この二点に関しては、今後具体的に確認したいとおもいます。
当初の鉄道計画では、中山道に沿って高碕、板鼻、安中、原市、松井田、横川の順だったそうです。
江戸日本橋から14番目の板鼻宿は、中山道上州七宿のうちで、最も栄えたといわれます。
板鼻駅の計画もあったそうです。
ところが黒煙が、桑の生育によくないなどの理由で反対運動があり、
板鼻、安中の宿を避け碓氷川の南を西に向かうことになったそうです。
今まで、中山道の北を走っていた線路は、この板鼻入口で中山道と碓氷川を渡ります。
最後に”中山道”と”中仙道”、どちらも”なかせんどう”と読みますが、正徳六年の幕府の指令により”中山道”が正式な名称になりました。が写真は中仙道です。仙道のほうが風雅ですね。
(高碕駅より8K389M)