佐賀野川と天龍護国寺(高崎市上並榎町)
嵯峨野と天龍寺(京都府右京区)
似てますね。

①佐賀野川(別名・佐の川)
深い川です
北から南へ流れてます。
カルガモが飛び出しました。
ここは天龍護国寺の東
旧室田街道と平行してる
ところです。
実はこの川は
上並榎城の濠でした。
川はこの先で
90度東に転向します。

②転向した川は
長野堰の放水路と
合流します。
この放水路の堰
”十九の堰の物語”の
八番の上野堰かもしれま
せん。
いずれにしても、
七番の高小田堰と
九番の上鳥羽堰の間
にあります。

③”余水吐水口”から
西流した川は
旧室田街道をわたり、
竹林の中に
消えてしまいます。
この竹林の西奥に
”くさや”とよばれる
家がありました。
馬をたくさん飼っていて
馬車で室田街道を下り、
十五連隊に軍馬の飼料を
納めていたそうです。
また旅芝居の一座が来ると、
芝居小屋にもなったとか。

④竹林から現れた川は
ここで合流します。
そこで方向転換をして
ふたたび南下します。
三の丸、二の丸を
右手にみて本丸、
信越線の線路へと
向かいます。
ここは
並榎将監と
並榎庄九郎の城
並榎氏は
武蔵国の児玉党
和田氏の騎馬衆

⑤以前みた馬頭観世音です
金田水車で紹介しました。
かって、この川沿いには
数台の水車がありました。
村に響く水車の音は
まさに村の鼓動でした。
人力が主体の時代の
”水車と馬車”
特別な、大切なものでした。
⑥水車を回した水は
線路を潜り
本丸の東を下り
やがて、滝となり
烏川に落ちていきます。
砦というより立派にお城
”さ川”もしくは”佐賀野川”
竹林と水車
新比叡山天龍護国寺の甍
もしかしたらここは
小京都だったかも
そんな気がししてなりません。
嵯峨野と天龍寺(京都府右京区)
似てますね。

①佐賀野川(別名・佐の川)
深い川です
北から南へ流れてます。
カルガモが飛び出しました。
ここは天龍護国寺の東
旧室田街道と平行してる
ところです。
実はこの川は
上並榎城の濠でした。
川はこの先で
90度東に転向します。

②転向した川は
長野堰の放水路と
合流します。
この放水路の堰
”十九の堰の物語”の
八番の上野堰かもしれま
せん。
いずれにしても、
七番の高小田堰と
九番の上鳥羽堰の間
にあります。

③”余水吐水口”から
西流した川は
旧室田街道をわたり、
竹林の中に
消えてしまいます。
この竹林の西奥に
”くさや”とよばれる
家がありました。
馬をたくさん飼っていて
馬車で室田街道を下り、
十五連隊に軍馬の飼料を
納めていたそうです。
また旅芝居の一座が来ると、
芝居小屋にもなったとか。

④竹林から現れた川は
ここで合流します。
そこで方向転換をして
ふたたび南下します。
三の丸、二の丸を
右手にみて本丸、
信越線の線路へと
向かいます。
ここは
並榎将監と
並榎庄九郎の城
並榎氏は
武蔵国の児玉党
和田氏の騎馬衆

⑤以前みた馬頭観世音です
金田水車で紹介しました。
かって、この川沿いには
数台の水車がありました。
村に響く水車の音は
まさに村の鼓動でした。
人力が主体の時代の
”水車と馬車”
特別な、大切なものでした。

⑥水車を回した水は
線路を潜り
本丸の東を下り
やがて、滝となり
烏川に落ちていきます。
砦というより立派にお城
”さ川”もしくは”佐賀野川”
竹林と水車
新比叡山天龍護国寺の甍
もしかしたらここは
小京都だったかも
そんな気がししてなりません。