例えば神社(日枝神社)の隅に、
無造作に捨て置かれた、壊れた鳥居の石柱。
よく見れば、享保(1716~1736)の文字、
十三年四月、戊申(つちのえさる)、寄進、
と読めます。
*すぐ隣の護国寺の焼失は天明五年(1785年)の二月六日の夜の事でした。


例えば、寺院(天龍護国寺)のはずれには、
無縁仏の墓石がひとかたまりに集めてあります。
よく見れば、文化(1804~1818年)
文政(1818~1830年の文字。
*現在の本堂は享和三年(1803年)十月の再建、落成でした。


無造作に捨て置かれた、壊れた鳥居の石柱。
よく見れば、享保(1716~1736)の文字、
十三年四月、戊申(つちのえさる)、寄進、
と読めます。
*すぐ隣の護国寺の焼失は天明五年(1785年)の二月六日の夜の事でした。


例えば、寺院(天龍護国寺)のはずれには、
無縁仏の墓石がひとかたまりに集めてあります。
よく見れば、文化(1804~1818年)
文政(1818~1830年の文字。
*現在の本堂は享和三年(1803年)十月の再建、落成でした。

