'この道をいざ鎌倉と犬ふぐり, (平成十九年春 捨蚕)
かって、鎌倉道が山名八幡宮のすぐ裏を走っていたそうです。小さな小川が集まりやがて、大河になるように、無数の小道が、山の尾根を、崖下を、川添いを走っていたことでしょう。
山名義範もまた頼朝の挙兵に応じて、鎌倉へとむかったのでしょう。寺尾城にいた父親の新田義重の意志に反してのいざ鎌倉だったのでしょうか。
野の道には、小さな紫の花をつけた、この滑稽な名前の花が、はるか鎌倉の方までつづいていたことでしょう。
平成十九年春、市議会選を前にして、作った一句でした。
かって、鎌倉道が山名八幡宮のすぐ裏を走っていたそうです。小さな小川が集まりやがて、大河になるように、無数の小道が、山の尾根を、崖下を、川添いを走っていたことでしょう。
山名義範もまた頼朝の挙兵に応じて、鎌倉へとむかったのでしょう。寺尾城にいた父親の新田義重の意志に反してのいざ鎌倉だったのでしょうか。
野の道には、小さな紫の花をつけた、この滑稽な名前の花が、はるか鎌倉の方までつづいていたことでしょう。
平成十九年春、市議会選を前にして、作った一句でした。