2010年08月13日

北上する分水(十九の堰の物語Ⅷ)

 ここは第十一番目の堰、金井堰です。水路に囲まれた中州のようなところは、昔は秋池染物工場でした。 
 堰の足元に”金井橋”と彫られた石柱が檻に囲まれてあります。
 ここはかって、大橋町の”佐藤技芸”と台町の”高商”を繋ぐ最短距離の路地道でした。
 今は”大橋第三号橋”という名の橋が架かっています。 









































 ここで分水した水路の行き先が、子供のころから不思議でたまりませんでした。 

 なんとこの分水川は渋川街道の西を北上していました。
 オランダ・コロッケの裏を通過し、佐藤幼稚園の東を北上しています。


北上した水路は、南下した水路と合流して、
渋川街道を潜り一貫堀と名前をかえて、東にむけて流れはじめています。
この写真がかって紹介した、一貫堀の起点です。



 


  (蛇足です)
 起点があるから 
 終点があります。 

 起点が存在するためには 
 長い伏線が必要です  

 私達の誕生のためには 
 無数のご先祖さまの 
 存在が必要だったのです。 

 抹香くさい話になったと思ったら 
 今日からお盆でした。 
 ご先祖さまを大切に・・・。
 


タグ :一貫堀

同じカテゴリー(十九の分水堰)の記事画像
確かこの辺りに・・・下鳥羽堰(十九の堰の物語そのⅩ)
お諏訪さまのある堰(十九の堰の物語Ⅸ)
お墓に囲まれた・堰でした(十九の堰の物語Ⅶ)
八寸堰と宿御堂堰(十九の堰の物語Ⅵ)
請地堰(十九の堰の物語Ⅴ)
もしかしたら・高崎炎上 (十九の堰の物語Ⅳ)・新井堰
同じカテゴリー(十九の分水堰)の記事
 確かこの辺りに・・・下鳥羽堰(十九の堰の物語そのⅩ) (2010-12-05 20:24)
 お諏訪さまのある堰(十九の堰の物語Ⅸ) (2010-10-18 11:11)
 お墓に囲まれた・堰でした(十九の堰の物語Ⅶ) (2010-08-09 22:53)
 八寸堰と宿御堂堰(十九の堰の物語Ⅵ) (2010-08-03 07:57)
 請地堰(十九の堰の物語Ⅴ) (2010-07-25 22:00)
 もしかしたら・高崎炎上 (十九の堰の物語Ⅳ)・新井堰 (2010-05-21 20:59)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
北上する分水(十九の堰の物語Ⅷ)
    コメント(0)