2010年05月29日

山名八幡物語(九)・中村俊達のこと(3)

 

① 中村元良    
    安政四年三月三日

② 中村俊達・46歳    
  元冶元年十一月十六日 
     
   みほ(妻)・64歳  
   明治十八年十二月二日

③ 中村元信・43歳    
  明治二十四年六月十五日  


時宗・光台寺
(高崎市山名町甲310)
中村家の墓の過去碑の一部です。 




①~③で三世です。俊達さんが死亡した年は、父親(元良)の七回忌の翌年で、妻(みほ)42歳、息子(元信)15歳でした。
碑文によりますと、中村家は代々医者で、ご先祖の玄益さんのころは、”山本の里”といいますから、”山ノ上碑”のある村に住んでいたそうです。 
元良さんの性格は、”豪放にして人を遇するに貴賎を分かたず”とあります。また後進の指導を善くし、その名声は近遠に鳴り響き、学びにくる人も多かったそうです。高碕や吉井の城主が高禄で召抱えようとしても、固く辞して教導をもって生涯を通したそうです。


元良さんには子供がなく、剛毅・英邁で見識の卓越した吾妻郡出身の俊達君を養子に迎えたそうです。 
おそらく、お弟子さんの中から選ばれたような気がしてなりません。 
それにしても、奥さんの止めるにもかかわらず医師の数が少ないという理由で志願従軍を瞬時に決断してしまう行動力には、驚かされます。  


当時15歳の一子・元信さん。明治になり教職につくかたわら防疫に功績があったと碑文にあります。 
その性格は清廉潔白にして篤実とありました。生徒達に惜しまれつつ明治24年に病死とありました。  


最後になりますが、
”中村家三世ノ碑”が建立された時の山名八幡宮の宮司は高井菊水氏でした。 
下仁田戦争のときの宮司はその父親の高井信重氏でした。 
幕末・明治の激動をどんな思いで過ごしたのでしょうか。


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