覚法寺から始まって割烹魚仲まで、東西に細長いこの街の名は嘉多町(かたまち)です。
安永三年(1774年)に町は本町から分離しました。
道の北側に藩の組屋敷が連なり通称片町と呼ばれていたそうです。
で、この店もやはりうなぎの寝床、
中庭の山桜は一見の価値あり、花が緑です。
四月のライトアップの花見句会が楽しみです。
店主の翠玲さんが取り出してきた一枚の色紙。
上村占魚でした。じつは馬脚先生も占魚の弟子とか・・。
なんでも、ご母堂さまが亡くなった時に戴いたとか。

お父さんが初期の群響の楽団員で
山本直純君とよく遊んだという翠玲さん
これも”音楽センターにまつわる物語”のひとつですね。

で、句会の結果ですが
(三点句)の紫陽さんが首位
墨の香の画は廊下まで春近し
で、捨蚕は一点句で
寒ブリをかかえて大男(おとこ)現われり