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Posted by株式会社 群馬webコミュニケーションat

2011年05月12日

五月定例句会

   今月の課題は、若葉と母の日。先生は恭子さんです。
    あいにくの雨の中、16人の85句が出揃いました。

   佳作は16句です。
     ① 母の日や むつき取れし児 多弁なり

     ② 母の日や 遠つ母との潮来舟

     ③ 柳若葉 水面に垂れて じょうじょうと

     ④ 母の日の 子連れのパパとパンダかな

     ⑤ 初出場 ライト八番 若葉風

     ⑥ 咎なくて斬られし墓の若葉かな

     ⑦ 母の日の肩もみ券は セピア色

     ⑧ 一列に黄色の帽子 春うらら

     ⑨ 幾千の しのぶ柏手 若葉雨

     ⑩ 孫曾孫 命の連鎖 若葉もゆ

     ⑪ 若葉風途絶えこれより 神の山

     ⑫ バ-ベキュー煙の上の若葉かな

     ⑬ 腰据えて上がり框で 蕗を剥く

     ⑭ 母の日や摩る心地で 遺影拭く

     ⑮ 遠来の子らと今宵の 藤の花

     ⑯ とりどりに萌えて若葉に十の色




    平成四年二月に公民館活動として初足しました。
     同年十二月に”榎の会”と命名されました。

     ちなみに、第一回の特選の節子は私の母です。
    数年間の休憩期間を経て今年から親子で参加してます。    

 

   (特選九句) 
     ① 目に若葉 生き抜く糧とただ歩く 
     
     ② 母の日や 野の花いまも頭たれ 

     ③ 風若葉”昭和の日”なる日章旗

     ④ 陽に若葉 耳たぶほどの柔肌に 

     ⑤ 母の日の風呂から漏れる 流行歌(はやりうた)

     ⑥ リフト発つ 足裏くすぐる若葉風 

     ⑦ 落葉松のトンネルとなる若葉かな 

     ⑧ パン屑を曳き行く母の日の蟻よ 

     ⑨ 胴上げの野球小憎に 若葉空


      母の日の句が出来ないステゴ的には、特選⑧句が好きです。
      パン屑を曳く蟻に、リヤカーを引く働く母がダブります。  

Posted by捨蚕at 08:38
Comments(0)俳句のすすめ

2011年05月08日

千人隠れ

        十二鉄橋を徒歩で渉る事と、仙人隠れに行く事  

       その二つの事は、50年前の高崎市街地の少年にとつて、
       
          かなり重要な意味を持っていた。
       

       それは、辺境への冒険であり、探検であり、勲章でさえあった。

       ガキ大将が話す”千人隠れ”は、太古の化石がゴロゴロした宝島、 

        少年達が胸をときめかすのに充分な憧れの聖地でした。


       50年後の少年達三人が、昨日ふらりとその聖地を訪問しました。      

       





  

2011年05月05日

昭和二十九年

           この看板見るたびに

       初めて食べた時の情景を思い出そうとしている

            自分自身に気が付きます。



       たぶん、東映のチャンバラ映画を見た帰りだったかもしれない。       

  百円札でバス代と映画代とラーメン代と、お釣りが10円あつたかもしれない。

           でも、それも定かではありません。

       萬年軍手・関公学生服・仁丹・そんな看板があった街角
             
         それにしても、カレーもラーメンもカツ丼も

         ガンバッているんだな・・とふと思います。

  

2011年04月27日

それでも春は来てました

         二ヶ月ぶりの訪問です。

        いろいろな事が有りましたが、

        春はしっかりと、来ていました。

                
     桜の花は見られませんでしたが、様々な花が咲いていました。       
              
     やがて、フキやユスラウメやタケノコやタマネギが・・・。     


       元の生活に戻れることの幸せと運の良さを 

             感謝しています。               

   

  

Posted by捨蚕at 07:46
Comments(0)むくのいる庭

2011年04月23日

春に逝く

   今朝の朝刊に63歳の神職のお悔やみ記事が載っていました。

    数ヶ月前にお逢いした時は、お元気そうでしたのに・・・。



  *春庭楽という衛府の武官の衣装で春の庭に舞う、
    優美さと威厳の具わった四人舞だそうです。

  

Posted by捨蚕at 10:53
Comments(1)号外

2011年04月16日

コラボ


    コンクリート電柱と大桑の木


    白と黄色のタンポポ


    椿と桜


    そして・・・高崎が好き。
  

2011年04月16日

散る桜


        花筏(はないかだ)




       花小紋(はなこもん)


       花・敷石路(はなしきいし みち)



       花石畳(はないしだたみ)       
  

2011年04月15日

春の祭

      4月15日は昔から春の祭礼の日です。  
         今年はまさに、満開です。



     昔から、春は御神楽、秋は獅子舞です。


     安中から毎年やって来る刃物屋さん、
             一品ずつ毎年買うのが楽しみです。


     諸葛菜の咲く鎌倉街道と言われている、本殿の裏です。



    フリーマーケットです、子供服で一つ50円です。
    売上代金は義援金となります。
    あれ! どこかで見た顔です。
    明後日は、市議会選の告示日ですね。
    八幡様の御前にて出陣式、午前10時からです。

  

Posted by捨蚕at 15:43
Comments(0)山名八幡物語

2011年04月14日

榎の会(四月定例会)

  課題は桜と囀でしたが、震災後の初句会とあって、三割がそれがらみの句でした。

  例えば、互選の最高点であった五点句もやはりそうでした。

   ① 囀(さえずり)を またも 断ち切る余震かな 

   ② 大地震(おおなゐ)に揺るる日本(にっぽん)花の冷


 でも、青郎先生の選句は微妙に異なります。
 (特選の八句です)

   ③ 夜桜や 口裂け女がひょつと出て

   ④ 子等居りし頃は手作り 桜餅 

   ⑤ 亡き人と 丹下左膳と花見酒 

   ⑥ O脚のジーンズ急ぐ 夕桜

   ⑦ 桜満開 かっぱえびせん飛び跳ねる

   ⑧ 囀や 心の滓は止まり木に 

   ⑨ 囀りの旅寝を覚ます 坊泊まり 

   ⑩ 船遅遅と 桜堤の絵巻繰る


  なんと、八句中四句が(③⑥⑦⑧)同一人物の進さんでした。

  佳作の中から気になつた句を幾つか・・・。

    ⑪ 悲しみの色に咲きたる さくらかな 
    ⑫ ”ありがとう”しか云えなくも 桜咲く
    ⑬ 浜ごとに 亡者輪になり 花かがり 
    



   ちなみに、①⑤⑬がステゴでした。  

Posted by捨蚕at 13:32
Comments(0)俳句のすすめ

2011年04月12日

震災・桜・選挙

   余震の続くなか、満開の桜の下、市長・市議会議員の選挙の看板。

   多分、4つと52の白い空白のポスターボード。 

   余震に震えながらも、桜は満開です。

   多分、24日には新市長と38人の市議が決まるはずです。

   でも、あまり余震が続くと、あくまで予定なのだと・・・。


    震災には、桜も政治も大切なはずです。 

      是非、投票に行きましょう。  
   



  

2011年04月11日

磔形(たっけい)の国

      昨日ひさびさに購入した”文芸春秋”五月号に、
      岡野弘彦(歌人)の”この火山列島に生きる外なし”
          と言う小文が目に留った。



 遠い古代、富士山をはじめ多くの山々が火を噴く東海の果ての火山列島に、
 アジアの各地から幾度も繰り返して渡来したわれわれの祖先は、
 みな身心壮健で、未知の世界への憧れと新生活への情熱に満ちた
 勇敢な人々であった。


      しかし、東海の万里の波濤に向って、
        アジアの巨大な重量を背負って
     磔形の如く苦しく身を反らすこの国の形は、
    そこに生きる人間が負うべき重い試練の形でもあった。
 
 

  

2011年04月08日

やっと・・・咲きました

        やっと、咲きました。
    今年ほど待ちどうしかった桜は初めての気がします。 

   今朝、仙台からお見舞いのお礼の電話が田中康ちやんからありました。
     昨夜の余震での形着けが、いま終わったところとか話してました。


   母と孫と長野堰沿いの桜を見に散歩にいきました。
   
   幸せと思うと同時に、もしかして、三人で桜を見るのも、これが最後かなと、
          ふと、思つてしまいました。

   何はともあれ、待ちに待った桜が咲きました。





  

2011年04月07日

金五万六千弐百円也

       今朝の上毛新聞に載りました。

  上毛新聞に寄せられた義援金は六億円を越えたそうです。

  個人的には、今まであまりした記憶はありませんでした。 

   参加できた自己満足感が、
     何も出来ない悶々とした思いを少しばかり
                   解消してくれました。

  考えすぎて何もしないよりも、した方が精神衛生上良いようです。

       同窓会の出席者の皆さん有難うございました。


  

Posted by捨蚕at 06:24
Comments(0)号外

2011年04月06日

義援金預かり書

    今、上毛新聞高崎支社に行ってきました。

    4月2日の同窓会で集まった義援金箱の中身です。  

    同窓会出席者のほかに、欠席者の実兄の方に呑屋さんで、
    また箱を造っていただいた髭の接骨医さんの従業員の方々にも
       ご協力いただきました。

    まずは、無事に義援したことを報告いたします。 

    7日か8日の上毛新聞の朝刊を是非ごらんくださいませ。    
       


  

Posted by捨蚕at 11:01
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2011年04月02日

50年前の小学校

  今日は卒業50周年記念の学年同窓会の当日です。 
  小学校を卒業して、なんと半世紀が経過した訳です。 

  桜も咲きました。
  お堀端を夜桜散歩の三次会予定です。 

  震災に遭った人も、救援に行って欠席の人もいます。
  でも、桜は咲いてくれました。 

  多分、昔話が酒の肴の還暦超えの同窓会。 

  どうなります事やら、
  義援金と黙祷でご勘弁していただき、本日15時決行です。 

  なにせ、皇太子様と美智子さまの軽井沢行きに
  手を振った面々のことですから・・・。


          今日は楽しく飲ませて頂きます。
  

  
  

Posted by捨蚕at 08:42
Comments(1)号外

2011年03月31日

我が家の要石(かなめいし)

  3月11日のその時、私は内孫の二歳半の男の子を抱いて、
  この石にしがみ付いていた様な気がします。

  何故そうしたのだろうか、突然の行動の意味を考えてみます。

    
  鹿島神宮に要石というものがあります、
  地震を起こす大鯰の尾と頭を抑える杭だそうです。

  ”ゆるげども、鹿島の神のあらんかぎりは”
        中世から伝わる地震(なゐ)歌だそうです。

  
  我が家は祖父、父、私と、男の子は一人でした。
  私には二人の男の子がいますが、長男は養子に出しました。
  同居の次男の一人息子が二歳半の孫です。  
  
  咄嗟の間に、要石に孫を抱いてしがみっいていた自分に、
   何か不思議な無意識の意識(本能)を思う次第です。

     そして、我が家に要石が誕生しました。

  

2011年03月28日

五輪坂(坂のある風景Ⅱ)

    東京と違って名前の無い坂道の多い高崎の坂道のなかで、
    珍しく名前のある坂道、それが五輪坂です。


    一説には源頼朝が上州三原の巻狩の際、この辺に陣を敷いたという故事
    だから御陣(ごじん)坂が正式名とか・・・。




    意外と急な坂です、登りきるとそこはモルモン教会です。



   右折して水道道を少し下ると、そこは鬼城草庵でした。



   その昔に鬼城さんとふと、すれ違ったような気がしてなりません。


   だから今、何故か再び、50年ぶりの望浅閣のあった、五輪坂でした。

  

2011年03月27日

みんな生きようとして・・・

  高前バイパスのコンクリート壁面です。

  壁の亀裂から、たくましく生きようとしています。 

  黄色のキク科の花が咲いていました。

  見上げると、白浅間・・毅然とした独立峰の勇姿。 

  足元を見ると、多分”仏の座”と”ぺんぺん草” 
  
  そこまで来た春が震災以後は、足踏みをしているようです・・。



  

2011年03月24日

筏場の喫茶店ベンチ

        烏川河原の高台にある山小屋風の茶店

      天井を見上ると、見かけたことのある大きなポスター画

    日の出から日の入りまでの河原が見られる窓のある”べんち”です。


        ところで、ここは昔の筏場河原の少し上流付近、
         毎年のように流された仮橋があったそうです。

   
      余震の続く河原でひと時の休息、
     女神さんあまり怒らないでください・・・・・・。


  

2011年03月23日

煙出て見よ

   海が怒ると津波になります、山が怒ると噴火します。
   妻が怒ると私は萎縮します、私が怒っても何も起きません。   

   ところで、この句碑は上並榎のテニスコート脇の坂道に、
   白浅間を睨んで建っています。
   裏面に昭和35年9月17日建立とありました。 

   昭和13年9月17日に並榎の自宅にて73歳で亡くなりました。
   
   この碑も当初は”かっての筏場河原、現在の君が代橋際、
    並榎坂下交番脇に建てられてある”
         と高崎の散歩道に金井先生が書いています。
   すると、その後君が代橋児童公園内に、
          その後に現在地へと移転したようです。


   独立峰の美女である白浅間も、羽鳥一紅の”文月浅間記”にあるように、
   時として、憤怒の形相となること度々でした。

         ”ドンとして 東火薬所 西浅間”  
        死んだ祖父が、よく言っていましたつけ・・・・。