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Posted by株式会社 群馬webコミュニケーションat

2019年05月17日

孫想ひ?

亡き父が遺した句の中から300句ほど、伯母と叔母が集めて製本してくれました。その中から一句。
『ぴかびかの 秋を集めて 妙義団』


そこで一句。
『孫想ひ かくも詠みける 翁かな』  

Posted by捨蚕at 16:13
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2018年11月22日

旧字体が多いです

『磯村合名會社 第貮五六號瓦斯提燈』
明治21年生の父方の曾祖父が旧国鉄 横川駅に従事していたことから、当時の瓦斯ランプ(合図灯)であると思われる。
『磯村合名會社』を調べてみると、製炭・植林・水道事業に端を発し、
1917年(大正6)磯村合名会社改組
1936年(昭和11)磯村産業株式会社改組
とあることから、この19年の間に製造されたことがうかがえる。
亡き父が保管していた先祖の遺物、埃を払って想いを馳せてみる。

  

Posted by捨蚕at 02:58
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2018年11月08日

皆様へ

捨蚕の息子でございます。
残念ながら父は、2018年10月12日、闘病の末に逝去致しました。
2009年12月~2011年11月のわずか2年弱の間でしたが、『ぶら捨蚕』をご愛読くださっていた皆様には父に代わって御礼申し上げます。
今回、迷道院高崎様よりグンブロ運営部に話を通していただき、私がこのブログを引き継ぐ運びとなりました。ご尽力いただき誠にありがとうございました。
さて、今後ですが、当ブログの方向性を踏襲しつつ、生まれ育った北高崎~街中周辺の郷愁漂うレトロな光景・昭和の匂いのするポイントを挙げ、諸先輩方に知識を分け与えていただくことを目的に、時折ブログを更新していきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。

1990年3月17日 12歳の誕生日に ステーキ宮にて  

Posted by捨蚕at 09:24
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2011年11月29日

山鯨と吊柿

       屠(ほふ)られし 猪の親子や 柿たわわ




 四匹の猪が捕獲されたと、興奮気味の電話の声であつた。
場所は上奥平の知人宅の裏、檻を設置して三年目の快挙である。
駆けつけると、すでに頚動脈を切られた猪が四頭、横たわっていた。


   一頭はまだ、かすかにピクピクとしていた。
   渋柿の木に実がたわわで、烏が見下ろしていた。


   翌日に猪肉が一キロ届いた。
   牡丹鍋としゃれてみた、美味かつた。
 
   干柿を作つてみた、猪への供養のごとく・・・
   半紙に”有枡山鯨”と書いてみた。


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2011年09月20日

お地蔵さん(九月定例句会)

今月の課題は”爽やか”と”霧”とか、私にとつては難行苦行でした。
 雑詠も含めて特選が六句ありました。

  ① 六合村や霧の中ゆく字小雨
     (六合とは、赤岩・太子・日影・小雨・生須・入山)   
  ② 一塊となりて霧中に牛沈む
     (牛沈む・・が好いね)
  ③ 山霧のビビビとなびく上高地
     (ビビビがよく分からない)
  ④ 霧去りて深山はなほも霧を呼ぶ
     (なほも・・がいいのかな)
  ⑤ 鉦叩き悔いの残りし母のこと
     (やはり悔いは残るもの・・)
  ⑥ 爽やかや座する地蔵の宝の珠
     (錫杖と宝珠を手の立像はよく見かけますが・・)
           以上六句でした
              ステゴは⑥でした。


  このお地蔵さま、縁あって、この夏から我が家の庭に鎮座しております。
  50年間近く市内の某宅にお住まいでした、その前は相馬の方とのことでした。

  この夏には孫が8月、9月と誕生しました。
  子育てにと、壊されて埋められてしまうのを、戴いて来たわけでして・・・。

     ”庭隅に残る暑さや 捨地蔵”
  
  最近よく石屋さんで見かける機械彫りと違った素朴さを感じます。      

  

Posted by捨蚕at 11:43
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2011年08月14日

蜻蛉三句(八月定例句会より)

今月の課題は赤トンボと残暑でした。
そのうち、赤とんぼの句を三句紹介します。

 ① 太古より仮面ライダー 秋茜 
    (まさにトンボの顔そのもの・・)      

 ② ”赤とんぼ”三番歌詞の謎深し
    (十五でねいやは嫁に行き、お里って何処・・)
    
 ③ 赤蜻蛉 ジュラ紀の窪地を見詰めをり
    (恐竜がいて巨大な昔トンボがいて・・)






  ①は特選 ②は無視され ③は佳作  全てステゴ作でした。  

Posted by捨蚕at 09:00
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2011年08月02日

石臼(ひき臼・つき臼)


ひょんな事から入手した二種類の石臼です。

   碾き臼は挽手を付けて食材の作成に・・・。
     (コーヒー・抹茶・山椒・蕎麦・鷹の爪)

   搗き臼は水生植物とメダカを入れて玄関に・・・。

     この搗き臼は昔、ご近所の方々と餅つきをしたそうです。
    
     搗きたての餅を頬張るガキ共の顔が目に浮かぶようですね。





  

2011年08月02日

一つの記憶として

突然にスーパーが無くなりました。

あまり行かなかったけれど、カードはありました。

ポイントはほとんどありませんでしたが・・残念です。

 そう云えばライブドアの一株券も、

  祖父が残した戦時国債券も、

   親父が残した美峰酒類の私名義の小額株券も、

まあいいか、だから、このカードも永久保存とします。

ささやかな、私の歴史の記憶として・・・。

  

2011年07月30日

音楽センター

7月28日・コアホール・50周年記念・連続シンポジュウム・

  喧々・諤々

どうする・・・群馬音楽センター

  それにしても、なんと50年・・心の文化遺産とか・・・。

あなたにとって、音楽センターて何ですか・・・・・・。

  私にとっては、ピンキラの歌を聞いた所、
         成人式の会場、
         敬老の日に記念品を貰う場所、
          でも一度だけの口パク合歌団の出演場所。

  

2011年07月28日

いちじく(ficus)

イチジクという言葉で最初に思いつく言葉は勿論”イチジク浣腸”・・、
  でも、裏長屋生まれの私にとって、それはビワやユスラ梅とともに
    身近にあった、数少ない果物の一つでした。


友人にいただいたこの無花果は皮が薄く緑でも、糖度が異常に高い。
  長屋の路地にあつたのとは、雲泥の差だ。


古代ローマの大カトーは、
見事な生イチジクからカルタゴの脅威を演説したそうです。
乾燥イチジクが主体の時代に、
生イチジクの運搬に海路3日の距離にある、
経済大国カルタゴ。
だから”カルタゴは滅ぼさねばならない”と・・。

もしも、イチジクが美味しくなければ、
ローマ帝国は存在しなかったかも知れません。
クレオパトラは三大美女ではなく、
それどころか、アダムとイブの子孫も、
とっくに絶滅していたかもしれません・・・。

重要な事は、イチジクが美味しかったと言う事実でした。



  
タグ :イチジク


2011年07月22日

路地裏のレトロ(住吉町の社交場)

  その名は確か、”ジャンプ”だったと思います。
  小学生や中学生の社交場、つまり駄菓子屋さん。
  長野堰添いの、大きな樹の下のトタン屋根。
  この路地は、南下して高崎神社まで行けます。  


  ”三国だんご”という幟が、ついこの間まではためいていた、お菓子屋さん。
   三国街道との交差点です。
   昔は、高商や市女や高女の信越線沿線学生の社交場だったんだろうな・・。



   眼を凝らしてみてください、”和楽鉱泉”という字が残っています。
   そうです、ここは昔々、銭湯でした。
   ”和楽湯”でした。
   銭湯もまた立派な社交場でした・・・(お年寄りですが)。

  

2011年07月19日

ステゴの挑戦(ダイエットⅠ)

   *二ヶ月間の数値の比較です。
          (5月15日)         (7月15日)
    体重      66・0㎏           62・8㎏
    体脂肪    21・5%            18・6%    
    IBM    24・2%            22・8%
   基礎カロリー  1,372k㌍          1,346k㌍
   内臓脂肪レベル  11レベル           9レベル  


        60日で体内の脂肪が2,509グラム減少しました。

        1gの脂肪の燃焼のためには、7,200k㌍が必要だそうです。

          ということは、一日あたり約300k㌍が、

        消費㌍が摂取㌍をオーバーしたということです。

        それは、白米ご飯一杯、かけうどん一杯、チーズバーガー一個、

           そんな摂取㌍だそうです。

   何のためか・・・・血糖値をさげるためです。
   
   何をしたか・・・・主食を抜きました、
            つまり炭水化物を
            基本的に摂りませんでした。               
    
   *焼酎と糖質ゼロビールは飲み放題、肉と魚と野菜は食べ放題
    血糖値はというと、それは次回報告します。



  

2011年07月14日

句碑ふたつ(七月定例会)

  七月の句会は山名八幡宮での吟行会となりました。

  境内に句碑がふたつありました。

  ”虫封じ”と”太刀割の石”が詠まれてます。
       

         (秋祭り 児の母となり 虫封) 仙花



         (太刀割の 石暖かく 掌にふれし) 竹人


  鶴田恭子さん選の特選10句です
   (課題句の昼寝から5句)
      ① 歳時記の胸に重たき昼寝かな
      ② 光陰を軽んじてまた大昼寝
      ③ 念力のゆるみ昼寝の十五分
      ④ 一瞬は吾を失う昼寝覚
      ⑤ 気に入りの玩具はなさぬ児の昼寝

     (吟行句から5句)
       ⑥ お稲荷(とうか)の視線の先の蝉の稚児(ちご)
       ⑦ 神官の衣涼しく重ねけり
       ⑧ 山名氏の浮沈の池や水馬
       ⑨ 夏宮にこつそり願う呆け封じ
       ⑩ 子育てに詣で懐かし夏木立

   後日発表の特選第一席はどの句となりますことやら・・。
        ちなみに、ステゴの句は⑥でした。
         ちなみに、ステゴの課題句は、
          ”天明の高遠石工の三尺寝”で並選でした。  

Posted by捨蚕at 09:52
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2011年07月13日

梶の葉のこと(七夕香)

七夕香の香席には、芋の葉の露で墨をすり七枚の梶の葉に歌が書かれ、
七首の歌は短冊となり笹に飾られます。

梶とは楮(こうぞ)のことで、桑科の植物で和紙や幣の原料となりました。
諏訪大社の神紋は上下社ともに梶の葉・幹・根です。

もしかして、天蚕は桑とともに梶の葉を食べていたのかもしれません。
織姫は養蚕もしてたのでしょう・・・多分してた筈です。

その昔、七夕に梶の葉を売り歩く商売があつたとか・・・・。

機織の技術も、達筆な和歌も、女性がより良く生きる為に必要なものだったんですね・・・。



  

Posted by捨蚕at 00:48
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2011年07月10日

神戸港のこと

神戸港から明石海峡大橋までの
ランチ・クルージングをと思い立ち、
神戸駅に降り立ちました。


開港当時の錦絵のモザイクの壁面


キリンのオブジェがありました



プレスリーがいました。


意味不明な郵便ポスト


高浜岸壁を曲がると
廊下の隅のような所に
黒い不気味な潜水艦が・・。


向こうに見えるのは、六甲山・須磨それとも一の谷。
  ”デッキからみる一の谷 午睡かな”
           ステゴ
  

2011年07月09日

有馬温泉のこと

江戸時代にできた”諸国温泉効能鏡”によると、
東の大関が上州草津湯に対して、西の大関は摂州有馬湯だそうです。

有馬温泉には、金泉と銀泉があります。
金は赤褐色の含鉄塩化ナトリウム泉、銀は無色透明の二酸化炭素冷鉱泉。

この銀泉から造られたのが、この”てつぽう水”だそうです。
栓を抜くときにポンと音がしたところからの、命名だそうです。

昔の絵葉書の写真集をみていたら、
草津と軽井沢、有馬と六甲山が対になりました。

最後の写真は金泉の源泉の一つの天神泉源です。




  

2011年07月04日

初めてのおつかい(洋服屋・靴屋・家具屋・めぐり)

かって、私の歴史の中で独りでショッピングしたことは皆無でした。
いつもうるさい小母さんが隣にいました。
私の意志は無視され、形式だけの購入者で荷物運搬者。
自分の意思で自分のものを買うという行為は多分
生まれて初めてのような気がします、もちろん食べ物以外の話ですが・・・。

それは、幸せなことだつたんでしょうか・・・。
62歳にもなって、考えてしまいます。




      チノパン・2,990円





      メッシュのスニーカー・2,848円





      デジタルスケール・990円
  

2011年07月03日

昭和な風景(Ⅱ)

   昨日の午前10時頃に”D51”が前橋街道踏切を行きました。
   なつかしい蒸気の臭いが、私を少年時代に戻してくれました。



   歌川町の元酒造会社に残る煉瓦塀。
   父はこの塀のの奥にあつた事務所に大橋町から、
   自転車で通勤してました。
   帰りには、ハンドルに社員割引の一升ビンをぶら下げて・・・。



   そのすぐ西のこの看板、そういえば昔からあつたな・・。



   ここは、請地町と昭和町と末広町の境目。
   ふと、この長野堰を上り下りしながら、
   私の一生が終わって行くのだな、
   といつも思うステゴでした。
   でも、それは多分、幸せなこと・・・。
  

2011年07月01日

昭和な風景

  ”峰岸達の私の昭和町”という絵本をみつけました。

  

2011年05月15日

大桐

              大きな桐の樹である、
            かってよく見かけた桐畑も、
           下駄や箪笥の需要の減少につれてか、
          すっかり、見かけなくなってしまつた。    
    
         それにしても、みごとな大桐の花である。
      
      かつてここは、旧室田街道沿いの牧場だつたそうです。
      三角屋根の牛舎があり、馬車がのどかに行き交う街道でした。
 
      桐畑も、古墳も、牧草地もあった田園地帯でした。 
      この大桐を見ていると、そんな昔の風景を垣間見たような気がします。