2010年04月26日

我が母校(踏切シリーズ・6)

 



信越線no・5は”紡績踏切”ですが、 

またまたですが、4月3日の”紡績てなあに”に掲載済みのため、  

ひと踏切飛び越えて、信越線no・6”西小前踏切”です。 

(なお、紡績てなあに、は”踏切シリーズ5”に変更しました)





写真の上部、新室田街道(高経大通り)との交差点は、かって丁字路でした。 
何時からかと、聞かれると困るのですが、私が三山幼稚園と西小に通う頃は、間違いなく丁字路でした。 (多分昭和の終わり頃だとおもいます) 


写真の左下が西小、右下が三山幼稚園です。校長は深堀三郎さん。園長は清水吾一さん。 
西小は昭和25年創立だそうです。すると三山幼稚園は昭和30年頃だとおもいます。 
何故かというと、私は名誉ある第一回の卒園児ですからして。(だからなんだ!) 


新・旧の室田街道を結ぶこの道を”西小通り”と名付けます。何故なら両方の街道に”西小入口”のバスストツプがあるからです。
多分、開校と同時に道ができ、踏切ができたと思われます。

拡幅とせずに、”道ができた”としたのには理由があります。  
旧室田街道から長野堰まで西小通りに沿って西側に、小道が北上してます。それも家一軒の間隔で平行しています。 

同級生の清君によると、鳥羽橋もかつて、10m位上流にあつたといいます。 
この道が、元の道だと推定できます。もちろん昭和25年以前のことですが。 


私事ですが、あと数年で親子三代で”西小学校前踏切”にお世話になる予定です。 
 
       高崎駅まで2K927M   


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