平成十一年発行の桜草という名前の俳句誌の記事に、住谷昇三さんが、”高崎の寺寺”のなかで、こんな七五調の唄を紹介してます。
真っ黒くろ助 安国寺
裸で飛びだす 善念寺
光り輝かがやく 大信寺
壱銭もらいの 覚法寺
ほとんど、意味不明と断わりながら、紹介してます。
田島武夫さんの、”高崎の名所と伝説”のなかに、明治時代の俗謡として、安国寺、善念寺、は同様ながら、”光かがやく覚法寺”とあり、大信寺は出てきません。
まず、安国寺です。住谷氏は隣の大信寺との間のごみ捨て場で、炭団を作っていたから、真黒になったといってます。
田島さんは、その宗旨の故と一言でかたずけています。浄土宗です、わかりません。
次に善念寺、両氏ほぼ同じですが、多少ことなります。
住谷氏は、寺前の風呂で、お十夜の晩に薪を燃し過ぎて火事になり裸で飛び出した、といつてます。
田島氏は、門前の銭湯へ十夜念仏の僧が行を終えて、風呂に入るべく飛び出す、といつてます。
さて、光り輝いたのは、大信寺なのでしょうか、それとも、覚法寺なのでしょうか。
親戚の法事で、覚法寺へは何度か行きましたが、浄土真宗本願寺派のこのお寺は、まぶしいくらいピカピカでした。
大信寺もまた、昭和20年8月の焼失まえは、葵の紋の唐門のある、駿河大納言の眠る裕福なお寺でした。
最後に壱銭もらいとは、托鉢のことでしょうが、よくわかりません。
所詮は、子供の戯れ唄ですが、貴重な戯れ唄ですね。
真っ黒くろ助 安国寺
裸で飛びだす 善念寺
光り輝かがやく 大信寺
壱銭もらいの 覚法寺
ほとんど、意味不明と断わりながら、紹介してます。
田島武夫さんの、”高崎の名所と伝説”のなかに、明治時代の俗謡として、安国寺、善念寺、は同様ながら、”光かがやく覚法寺”とあり、大信寺は出てきません。
まず、安国寺です。住谷氏は隣の大信寺との間のごみ捨て場で、炭団を作っていたから、真黒になったといってます。
田島さんは、その宗旨の故と一言でかたずけています。浄土宗です、わかりません。
次に善念寺、両氏ほぼ同じですが、多少ことなります。
住谷氏は、寺前の風呂で、お十夜の晩に薪を燃し過ぎて火事になり裸で飛び出した、といつてます。
田島氏は、門前の銭湯へ十夜念仏の僧が行を終えて、風呂に入るべく飛び出す、といつてます。
さて、光り輝いたのは、大信寺なのでしょうか、それとも、覚法寺なのでしょうか。
親戚の法事で、覚法寺へは何度か行きましたが、浄土真宗本願寺派のこのお寺は、まぶしいくらいピカピカでした。
大信寺もまた、昭和20年8月の焼失まえは、葵の紋の唐門のある、駿河大納言の眠る裕福なお寺でした。
最後に壱銭もらいとは、托鉢のことでしょうが、よくわかりません。
所詮は、子供の戯れ唄ですが、貴重な戯れ唄ですね。