2010年03月03日

R354 ・君代橋あたり(小発見シリーズ24)

高崎市の広報に国道354号伊勢崎街道が4車線になるという記事がありました。
 
開かずの踏切、の正式名はやはり伊勢崎街道踏切でした。
それより、以前より気になっていた国道354号線のことです。


写真は君が代橋の親柱、昭和六年の鉄骨製の橋の完成時のものとおもいます。 
君が代橋の名前は、明治十二年の明治天皇の北陸御巡幸の際に改造と伴に命名されました。 

ここが、国道354号線の起点です。1975年4月1日高崎市と館林市間の53.6KMの起点として制定されました。その後茨城県鉾田市まで延長されその距離は172.3KMとなっているそうです。

今の私にとっての関心事は、この君が代橋から西小入り口の交差点までの坂道の以前の風景が思い出せません。  
       (井上陽水の傘がない)です。

いくら思い出そうとしても霧に包まれていて、分かりません。 

ものの本によると、細い道があり、さびしい所で、古墳もあったと聞きます。R354を南北に横断する路地にかすかに、面影が残っていますが。 

ただ、一つだけ菜の花の咲く、高台を歩いた記憶があります。今の鬼城庵のあたりだつたとおもいます。小学校の三年生の頃同じクラスの女の子に行き会った、記憶があります。遠くまで見わたせる菜の花が咲く高台だつた気がします。 


五輪坂、望浅閣、水道みち、どんぐり山、鬼城庵。
たまにその当たりを、散歩すると、細い路地に魔界に迷い込んだような、小学生にもどったような、不思議な気持になります。  
もしかして、私にとって大切な場所なのでしょうね。


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この記事へのコメント
10年来、高崎市中央公民館のサークルでご一緒している方がいます。
お住まいは並榎町です。
サークルの同人誌が出来上がったので、3月1日にその方のお宅にお持ちしました。
戦前は、お父さんが烏川の川縁で割烹旅館を営んでいたと聞いていましたので、そのことをお聞きすると、お住まいの西に行って、「この下に烏川が流れていたんですよ」と説明を受けたばかりでした。
屋号を聞いていないので不確かですが、屋形船があったそうですから、多分「望浅閣」だと思います。確認して、また書き込みします。
Posted by いちじん  at 2010年03月03日 17:58
いちじんさんへ

是非ともお話をお聴きしてください。屋形船いいですね。いきですね。
ところで、何のサークルですか?、
Posted by 捨蚕  at 2010年03月03日 18:24
2009年02月28日の拙ブログでちらっと書いたのですが、五輪坂上の「護念寺」の庭がお寺の庭にしては、粋過ぎる気がしています。
たぶん「望浅閣」の庭だったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月03日 20:30
迷道院さんへ
開化高崎控え帳に御念寺と望浅閣の一致の文章を今、確認しました。ただ、望浅閣の一部といったほうが、正確のようです。
近々より明確になるかもしれません。
例の件、6日あたりにいかがでしょうか。操作している所を見学させていただけるだけでも結構ですが。
Posted by 捨蚕  at 2010年03月03日 22:14
中央公民館の文章講座を受けたものが集まってできたエッセイのサークルです。
最近、漸く「真緋」(あけ)5号を発刊したところです。
さて、電話で確認したところ案の定「望浅閣」の息子さんに当たる方でした。
近いうちにお話を伺いに行きましょう。
Posted by いちじん  at 2010年03月04日 09:03
こんにちは、初めてコメントさせていただきます。短足おじさんと申します、宜しくお願いします。
迷道院さんのブログで捨蚕さんのブログを知りました。並榎の話、興味深く拝見しております。

来週末に墓参の為並榎を訪問するので色々地図など調べています。
これは現地を知らない人間の勝手な推量では有りますが、R354は新しい道で昔の道は別のルートだったように見えるのですがどうでしょうか。
実は墓参の折先祖のたどった道を見てみよう、
並榎から箕郷町和田山など時間が有れば見てみたい・・・そう思っています。
Posted by 短足おじさん  at 2010年03月04日 17:20
来週おいでになりますか。常仙寺でしたら、東から車は入れますね。
私のブログに、神明宮も常仙寺あります。是非とも。

和田山はもしや、長野様のご親戚ですか、並榎の砦と長野様の事も調べています。
354は新しい道です。その南に旧中山道があります。

道中お気をつけて、お出で下さい。
Posted by 捨蚕  at 2010年03月04日 20:06
>和田山はもしや、長野様のご親戚ですか、
親戚では有りません。伝承では長野氏の臣であったと聞いております。
いずれにしても450年前の話です。良く分かりません。
今回墓参の後前橋の群馬県立文書館で文禄3年(1594年)の古文書を見せていただく予定ですが、さて何が出てくるかです。
Posted by 短足おじさん  at 2010年03月04日 21:31
13日に墓参を済ませました。
色々ご教示いただき有難うございました。
倉賀野城落城の話、大変興味深いですね。
これからも面白い話題楽しみにしております。
Posted by 短足おじさん  at 2010年03月17日 17:15
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