高崎市の広報に国道354号伊勢崎街道が4車線になるという記事がありました。
開かずの踏切、の正式名はやはり伊勢崎街道踏切でした。
それより、以前より気になっていた国道354号線のことです。
写真は君が代橋の親柱、昭和六年の鉄骨製の橋の完成時のものとおもいます。
君が代橋の名前は、明治十二年の明治天皇の北陸御巡幸の際に改造と伴に命名されました。
ここが、国道354号線の起点です。1975年4月1日高崎市と館林市間の53.6KMの起点として制定されました。その後茨城県鉾田市まで延長されその距離は172.3KMとなっているそうです。
今の私にとっての関心事は、この君が代橋から西小入り口の交差点までの坂道の以前の風景が思い出せません。
(井上陽水の傘がない)です。
いくら思い出そうとしても霧に包まれていて、分かりません。
ものの本によると、細い道があり、さびしい所で、古墳もあったと聞きます。R354を南北に横断する路地にかすかに、面影が残っていますが。
ただ、一つだけ菜の花の咲く、高台を歩いた記憶があります。今の鬼城庵のあたりだつたとおもいます。小学校の三年生の頃同じクラスの女の子に行き会った、記憶があります。遠くまで見わたせる菜の花が咲く高台だつた気がします。
五輪坂、望浅閣、水道みち、どんぐり山、鬼城庵。
たまにその当たりを、散歩すると、細い路地に魔界に迷い込んだような、小学生にもどったような、不思議な気持になります。
もしかして、私にとって大切な場所なのでしょうね。
開かずの踏切、の正式名はやはり伊勢崎街道踏切でした。
それより、以前より気になっていた国道354号線のことです。
写真は君が代橋の親柱、昭和六年の鉄骨製の橋の完成時のものとおもいます。
君が代橋の名前は、明治十二年の明治天皇の北陸御巡幸の際に改造と伴に命名されました。
ここが、国道354号線の起点です。1975年4月1日高崎市と館林市間の53.6KMの起点として制定されました。その後茨城県鉾田市まで延長されその距離は172.3KMとなっているそうです。
今の私にとっての関心事は、この君が代橋から西小入り口の交差点までの坂道の以前の風景が思い出せません。
(井上陽水の傘がない)です。
いくら思い出そうとしても霧に包まれていて、分かりません。
ものの本によると、細い道があり、さびしい所で、古墳もあったと聞きます。R354を南北に横断する路地にかすかに、面影が残っていますが。
ただ、一つだけ菜の花の咲く、高台を歩いた記憶があります。今の鬼城庵のあたりだつたとおもいます。小学校の三年生の頃同じクラスの女の子に行き会った、記憶があります。遠くまで見わたせる菜の花が咲く高台だつた気がします。
五輪坂、望浅閣、水道みち、どんぐり山、鬼城庵。
たまにその当たりを、散歩すると、細い路地に魔界に迷い込んだような、小学生にもどったような、不思議な気持になります。
もしかして、私にとって大切な場所なのでしょうね。