2010年02月12日

ラ・メーゾン(我楽多№2)



写真の看板は昔ラメーゾンにあつたものだそうです。
もう三十年近く我が家にあります。  

田町生まれの妻と、骨董屋の小父さんが言っていたから多分間違いないでしょう。  

私には明確な記憶は、ありません。                        

 店をはいると、螺旋状の階段で絵画や観葉植物があつて、二階は籐椅子のあるゆつたりとした空間がひろがり、シヤンソンとコーヒーの香り、そんな部屋のどこかにあつたのでしょう。   

昭和21年創立とあります。山本直純さんのお父さん山本直忠氏を指揮者に迎えて、ここは、群響のの前身である市民オーケストラの練習場だつたそうです。

籐椅子に座って、煙草はピース、曲はムスタキ、飲むはブルマン、菓子は何故かモンブラン、そんな初老の自分を夢みていた二十歳の私が、かっていました。  

この看板にご記憶のある方は是非お知らせください。お待ちしてます。


タグ :ラメーゾン

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この記事へのコメント
貴重な看板をお持ちですね。
残念ながら、その看板がラ・メーゾンにあった頃は、そこへ入れる身分ではありませんでしたが・・・。

山本直純少年は、よく父親に連れられて練習場に来ていたと聞きます。
表の通りで、車がプッとクラクションを鳴らすと、それがどの音かピタッと当てたそうです。

たしか、群響のコーラス部門だった「群響合唱団」もそこで練習していたと思います。
その後「響友合唱団」となって、南町の愛宕神社境内の保育園が練習場でした。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年02月13日 07:34
はじめまして、ラメーゾンの3代目をしております、だい と申します。
こちらの看板に関して、母、祖母ともに確認しましたところ、ちょっと記憶にない、とのことでした。
しかし、もしかしたら、創業当時に少しの間だけ掲げられていたものかもしれませんね。

お力になれず、すみません。
Posted by ラメーゾン  at 2010年02月18日 13:06
お手数おかけします、有難うございました。何れにしましても、私達の年代にとっても、様々な思い出のラメーゾンです。
名前そのものが、高崎の宝物です。今後もよろしくお願いします。
Posted by 捨蚕  at 2010年02月18日 19:54
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ラ・メーゾン(我楽多№2)
    コメント(3)