2010年02月05日

小発見シリーズ上並榎(7) 道祖神の謎(一)

明和八年ここ上並榎村に道祖神が三基建てられました。一つは道しるべ道祖神、他は文字道祖神です。
まず、この道しるべ道祖神です。場所は長野堰が信越線を潜り抜けたところ、信越線を渡る歩道橋のわきにあります。     道陸神、明和八年、卯正月吉日、左しらいわ はるな。 とあります。                                  かつては、信越線の北、約100米上流にありました。おそらく昭和50年頃までは長野堰に架かる小橋のたもとにありました。 しらいわ とは、坂東三十三番札所の十五番白岩観音のことです。正式には白岩山長谷寺です。ちなみに十六番は水沢観音です。三十三のうち群馬にあるのは、この二つだけと記憶してます。                                   さてこの道陸神は、もともと何処にあつたのでしょうか。室田街道沿いには、違いありません。そもそも室田街道は本町一丁目から稲荷横丁、台町、上和田、下並榎、上並榎、我峰、沖、本郷、室田と続く道でした。信越線の室田街道踏切をわたると、長野堰放水路をわたり、新室田街道の手前を左におれて、護国寺の山門前を通過して高経大の東にでる道でした。  この左に折れる角にあると、解かりやすいのですが。直進すると上小塙をへて箕輪にむかいます。       元来道祖神は、村の入口や辻道、街道端に立てられましたが、道祖神祭りで、小屋を建てて燃やす関係から田んぼのそばに移転させられるものが多いとききます。 この道陸神もなんどか、移転を繰り返したのでしょう。


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この記事へのコメント
道祖神も、あちこち動かされはしますが、残されているのは救いですね。
信心深さの薄れてきた現代でも、やはり日本人の血は流れ続けているんだと思うと、ホッとします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年02月05日 19:39
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