2010年01月23日

小発見シリーズ(12) 続飯塚城

シリーズ其の四で飯塚城跡に潜入した時に奇妙なものを、発見してしまいました。写真の首座像です。城の西半分占める常福寺に背を向けて東の空地と梅林を見続ける石仏と塔でした。
ぐんまのお寺と云う本の中からの小発見です。その空き地は常黙庵という名の小さな庵寺跡でした。曹洞宗飯玉山長泉寺を本寺とする尼寺だったのです。創建は文化年間とあります。
つまり、長野氏が和田城の北の守りとして築城したであろう飯塚城は、その後本郭の西半分を常福寺、東半分を常黙庵としてつい最近まで存在していました。
さて、僧型石像は五代続いた庵主のうちの四代目庵主、泉底観亮尼の首座像で大正六年に建立されました。
塔は正面に千部供養塔、高崎山三書とあります。
解釈の間違いを恐れず読みます。供養のため大乗妙典一千部を尼僧四十五名によって読経したようです、しかも五十日かけてです。
撰文は長泉寺の第十九世恵鎮素明、文字は高崎山龍廣寺十八世僧三。したがって高崎山三書です。ちなみに、常黙庵の本山が長年寺、その本山が龍廣寺と続きます。
背面には文政十年(1828年)猛夏十八日、二世庵主智鏡尼が発願し之を立てる、とあります。また読経参加の尼僧四十五名を連記しています。
基壇上には施主として、十六名の本町の商人の名、基壇下に村役人・世話人として、二十一名の地元の名氏の名が記してあります。
文政十年夏のある日、ここ飯塚村の常黙庵の庭に大勢の人が集まっています、そう今日は供養塔の建立記念法要の日です。
まず四十五名の尼僧が目につきます、本町の大店の旦那衆、穀屋さん、百足屋さん、松屋さん、それに佐渡屋さんまで。
そんなに集めて大丈夫かって、境内は三百十六坪、なんとかなるでしょう。また゛まだ、井田さん、阿久津さん、植原さん、飯塚村のお歴々。
なんと、華やかな賑わいでしょうか。
平成二十二年正月は、何もありません、首座像と供養塔と、その後ろに石仏の残骸が少々在るのみです。
今日はここまで、
合掌
次回は完結編の予定です。


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この記事へのコメント
尼寺に尼僧ですか。
普段は男子禁制なんでしょうから、法要当日の賑わいは、うん、でしょうなー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月23日 21:16
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