2010年12月05日

確かこの辺りに・・・下鳥羽堰(十九の堰の物語そのⅩ)

   この10番堰は今は存在しませんが、50年前には確かに存在しました。

   確かに、この”おた”で私たち子供は水遊びに興じていました。  





  それは、この鳥羽橋よりも少し上流にあったはずです。



  それは、この魚仲別館よりも少し下流にあったはずです。



  今はその形跡さえありません。  
 
  おそらく、この辺りに”下鳥羽堰”は存在していたと思われます。

  私の不鮮明な記憶・・・ついこの間のこと・・・
          でも・・・・ 気付けばすでに半世紀もまえのこと・・。

       それでも、この大川に迫り出した満開の桜はそれは見事です。



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この記事へのコメント
いとうれし、

お待ち申し上げし候・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年12月06日 12:03
50年前まだ小学校に防火用水のようなプールしかなかった頃子供たちはこの”おた”をプール代わりにあつまったものです今は子供たちが愛した蛍が乱舞しウグイや鯉が遊泳していたこの長野堰も3面側溝して以来つまらない
用水になってしまいました、かつての”おた”もまた埋め立てられ無骨なコンクリート製のお休み場所になってます
半世紀の変化の速さを感じます。
Posted by somenosuke  at 2010年12月06日 22:52
somenosukeさんへ 
まさに、同感です。 

ウグイがいましたか、鯰や鰻や肺魚や雷魚もいましたね。 

ところで、北部排水のことですが、西小の校庭
を潜って、長野堰を潜って烏川までどうしているのでしょうか。

わかりましたら、教えてください。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年12月07日 17:59
北部排水ですが今も昔と同じに烏川に流れ込んでいます、上並榎テニスコートの東側国道近くに放水口があります藪草で少し分かり難いですが、時々子供が探検しているのを見たことがあります
Posted by somenosuke  at 2010年12月07日 22:32
ありがとうございました。
確認してみたいとおもいます。

かなり、南西に向かっているんですね。 
どの地点で旧室田街道を、水道道を、横切っているのでしょうかね。 

考えると、眠れなくなつてしまいますね。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年12月08日 11:03
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