2010年08月15日

大橋町256番地(物心ついた時と同じもの)

 高崎商科大付属高校の体育館です。
    当時は佐藤学園、もしくは佐藤技芸の体育館でした。 
 私が物心ついた時と、恐らくは、ほとんど変わっていない、
     唯一の建物だと思います。
 

 大橋町256番地。ここで私は生まれました。
   もちろん借家、もちろん産婆。 
        いまこの番地は地図上に存在しません。 
 父の本籍地は死ぬまでここでした。 
      私は結婚時に現住所に変えてしまいました。


 この不正確な昭和35年の住宅地図。 
      佐藤技芸も大谷仕切店も中山洋服店もありますが、 
   私の生まれた家はありません。 
        じつは、この一年前に現住所に移転しました。  
 

       ときどき 
          思いついたように 
               この路地を歩くことがあります。 
 
       全てが変わってしまった 
              記憶の路地を・・・。 

   私の子供よりも若い父や母が 

        今の私よりも若い祖父や祖母が 

            路地奥から不意に現れる気がするからです。


タグ :佐藤学園

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この記事へのコメント
>今の私よりも若い祖父や祖母が路地奥から不意に現れる気がするからです。

そういうのってありますよね・・・・・

僕の実父は昭和40年9月に53歳で死にましたから、もしあの世であっても多分分かりませんね(笑)。
まだ4、5歳の僕を養子先から連れ出してはオート三輪にのせて高崎のアッチコッチへ。
今でも、そのオート三輪のエンジンの音・・・・

「トットットット・・・・・」

今でも耳元にしっかり残っています。

因みに僕は、その実父のことを、

「トットのおじちゃん」

と呼んでました・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年08月16日 08:49
私にも、 
トットのおじちゃんの気持 
少し分かるような気がします。 

鼻の奥がツンとするような 
そんな気持ちでした。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年08月16日 20:06
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    コメント(2)