2010年08月09日

お墓に囲まれた・堰でした(十九の堰の物語Ⅶ)

     ”江木橋湯”の無くなった江木橋をわたり、
 好物の(塩味の三角形をした豆のはいった餅)を売っている第一協和江木店の  脇を川沿いに下ると
 お墓に囲まれた堰があります。  
         その名は第十七番堰の佐野堰でした。










































左手に敬西寺とその墓地、右手前に本元寺と法輪寺の墓地。
右手川沿いに五万石騒動と天狗党の無念の碑、その先にある公民館。
 ここは刑場跡、無縁堂という名の火葬場跡あたり。

 
この堰で
分水した水は 
栄町・岩押ざかいを
一路南下し 
佐野方面へと流れていきます。

ふと、思いました。 
ここで流された様々な無念の涙は 
さらに下流に流れたのでしょうか 
それとも分水して佐野方面へ・・・ 
水面を見ながら  
そんな事を何故か  
考えている自分がいました・・。 
 



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