2010年08月06日

七の宮・(十二社巡りの其ノ壱)

 十二社のうちの最寄の神社からと、
 まずは高崎市石原町西半田の”おぼりさま”です。 
 
 祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、本地仏は文珠菩薩です。
 
 38台の山車が勢ぞろいする”高崎まつり”に、
 この神様も”石原町下一”の 山車に乗つて御出陣するようです。











































小祝神社は 
片岡郡の総鎮守でした。 

”多胡の碑”にすでに上野国片岡郡と刻まれてあります。 

五つの郷(ごう)から成り、その場所はほぼ烏川の右岸一帯でした。

”飯塚久敏の古碑考”には
”この郡は西南に連山ありて岡のごとし、東北に烏川の流れありて、片はへなる科のごとし”
とあります。







神社のすぐ東隣は 
天台宗・常倍山・石昌寺
 
天文年間に信玄がらみの 
兵火により、さしもの七の宮も 
小さな石宮と化してしまいました。 

享保ニ年(1717年)に 
名主の桜井十郎座左衛門

別当寺石昌寺四世亮珍の 
努力により新たに 
社殿が造立されました。








 
 右 里道 
 左 小祝神社・吉井街道 

 昭和初期のものとのことですが 
 ”道しるべ”を発見しました。  



 すこし西のお寺の前に 
 古墳がありました。 

 片岡第177号古墳だと思います。 
 方形・竹林・高さ29尺とあります。 

 





いずれにしても、かってこの片岡郡は強大な豪族が支配する上野国第七番の地でありました。   



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