2010年08月03日

八寸堰と宿御堂堰(十九の堰の物語Ⅵ)


  十四番は八寸堰
  十五番は宿御堂堰


と江戸時代の長野堰分水堰略図にあります。 

不思議なことに十四番と十五番は同じところにあります。

  写真のように 
  上に八寸堰水門
  下に宿見堂堰です。

どう考えたらよいのでしょうか。








 名前の由来も不明です 


 でも良い名前ですね 

  八寸堰は八町堀に 

  宿見堂は月見堂に 

  少し強引ですが

  どこか似てませんか。 










 川の左に”いろり”

 川の右に”寺西の肉屋”

 風情のある場所ですね。


 並榎の魚仲別館あたりから 

 屋形舟で下れば 

 あっというまに、この辺り 

 そんな風景を夢想したりし て・・・。




 

 この堰の少し上流に 

 こんな小ぶりな水門を発見 

 もしかして、これが 

 八寸堰水門か・・。 

 3.03cmX8=24.24Ccm  

 それにしても三尺はありますね。 






         (これで十九堰のうちの七つが完了です)


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この記事へのコメント
いろりの長野堰、アソコ僕ら子ども時分は・・・・・

「大川」って呼んでました。

屋形船、いいですねぇ・・・・・

だいぶ昔でしたけど、ある人を介して市に烏川に帆船を設置する提案をしました。
まあ、海なし県でしたし、その帆船で海を体験するっていうか、同時に河川敷にプールも作っちゃって。
で、その帆船で海鮮料理かなんかでチョイとイッパイ・・・・・

たしかに、紺屋が盛んなころの大川は風情がありましたね。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年08月03日 17:46
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