2010年06月18日

妖怪”汽車喰われ”












































碓氷川沿いの公民館の脇に”天満宮”と書かれた、祠を見つけました。 
覗くとこんなすごい菅原道真さんがいました。 

聞くところによりますと、かってはもつと南の線路脇にあつたそうです。 
ところが、この祠の蔭から線路への飛び込みが多く、
やむなく、ここに移したとのことです。


  常木村の由来に、天満宮を筑紫の常木から移したとあります。
  別当寺も旧地同様に、常香山安楽寺と号したそうです。 

ところが、正徳二年(1712年)に火災のため安楽寺は谷津村に移ってしまいました。 
多分、天満宮はそのまま常木村に残ったのでしょうか。

”汽車喰われ”のことを考えると(確認出来ていませんが)そんな気がしてなりません。

なにせ、道真さんの怨霊ときたら、京の都を震いあがらせたそうですから。
それはそれは、強い力の怨霊だつたそうです。



 

  庚申供養塔

  元文五年(1740年)十月
  吉日   

   同・十七人

  常木村  

祠の脇にこんな庚申塔がありました。 
お寺が移った後のことですね。



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この記事へのコメント
常木村。
筑紫の人が移り住んでいたということでしょうか。

棟高村も、そうらしいですから。

地名はその土地の歴史、大切にしたいものです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月18日 07:29
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    コメント(1)