2010年06月11日

ひとつ間違えれば・”小京都”・

佐賀野川と天龍護国寺(高崎市上並榎町)
               嵯峨野と天龍寺(京都府右京区)
                   似てますね。   
                     


①佐賀野川(別名・佐の川) 
  深い川です 
 北から南へ流れてます。 
 カルガモが飛び出しました。  

 ここは天龍護国寺の東 
 旧室田街道と平行してる
 ところです。       




 実はこの川は 
 上並榎城の濠でした。
 
 川はこの先で 
 90度東に転向します。







 ②転向した川は 
  長野堰の放水路と 
   合流します。  

  この放水路の堰 
  ”十九の堰の物語”の 
  八番の上野堰かもしれま
  せん。 
  いずれにしても、
  七番の高小田堰と 
  九番の上鳥羽堰の間
  にあります。 
  

 









③”余水吐水口”から 
  西流した川は 
  旧室田街道をわたり、 
  竹林の中に
  消えてしまいます。
  
  この竹林の西奥に 
  ”くさや”とよばれる 
  家がありました。 

  馬をたくさん飼っていて 
  馬車で室田街道を下り、 
  十五連隊に軍馬の飼料を
   納めていたそうです。 

 また旅芝居の一座が来ると、 
  芝居小屋にもなったとか。
  







④竹林から現れた川は 
 ここで合流します。 
 そこで方向転換をして 
 ふたたび南下します。 

 三の丸、二の丸を 
 右手にみて本丸、 
 信越線の線路へと 
 向かいます。


  ここは 
  並榎将監と 
  並榎庄九郎の城 

  並榎氏は 
  武蔵国の児玉党  
  和田氏の騎馬衆







⑤以前みた馬頭観世音です 
 金田水車で紹介しました。

 かって、この川沿いには 
 数台の水車がありました。 

 村に響く水車の音は 
 まさに村の鼓動でした。 

 人力が主体の時代の 
  ”水車と馬車” 
 特別な、大切なものでした。  
 

 








  

 ⑥水車を回した水は 
  線路を潜り 
  本丸の東を下り 
  やがて、滝となり 
  烏川に落ちていきます。  

  砦というより立派にお城  

  ”さ川”もしくは”佐賀野川” 

  竹林と水車  

 新比叡山天龍護国寺の甍  

 もしかしたらここは 
 小京都だったかも 
 そんな気がししてなりません。


  



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この記事へのコメント
道と水路に歴史あり!ですね。

佐賀野川と嵯峨野、天龍護国寺と天龍寺。
確かに、何かを感じます。
これからの追跡、楽しみです!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月11日 07:25
楽しみにしてます
Posted by キューピーキューピー  at 2010年06月11日 19:50
昔から京の都は意識されていたんですね。 

”新並榎八景”を書きたいと思っています。 
が、未だにできません。 

もっと、足元を見直そうと思っています。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年06月12日 06:50
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    コメント(3)