2010年05月19日

八幡さまが見下ろすところ(踏切シリーズ№11)


高崎には有名な八幡様が、二つあります。 

板鼻八幡宮(天徳元年・957年)と、 

山名八幡宮(文治年間・1185~1190年)です。 

前者は旧碓井郡八幡村で、”八幡の八幡さま” 

後者は旧多野郡八幡村で、”山名の八幡さま”  

今回は前者、
”上野国一社八幡宮”の 

”八幡の八幡さま”です。 



(地主神社のこと)
八幡さまの西北隅にいまも地主稲荷神社があります。
創建伝説の”青目竹”によると、かってここは稲荷社の森でした。 

ある時、衣冠正しき老翁が、対岸の鼻高から、香煎(麦こがし)をご馳走になりながら、稲荷の森にむけて竹の杖を投げたそうです。杖は翼のある矢のごとく飛んで、逆さに根付き、この地に八幡様が鎮座したそうです。

いまでも毎年、八幡宮に香煎が献じられますが、まず地主稲荷神社に献納されるそうです。


(別当寺のこと) 
八幡様のすぐ東に真言宗の大聖護国寺があります。 
建保二年(1214年)の開山から少なくとも寛永期(1624~44年)まで別当寺でした。 

  突然ですが、東京の小石川音羽の護国寺をご存知ですか。 
  一度、お茶会の道具持ちで仙台平の袴で行きましたが、すごいお寺でした。 
  三条実美、大隈重信、山縣有朋、團琢磨親子、野間清治等々の墓所が
  ありました。 

天明元年(1681年)に創建されたこの音羽の護国寺の初代管主亮賢(りょうけん)は、ここ八幡の大聖護国寺の第24代住職でした。徳川綱吉から生母桂昌院の祈願寺の開山を命じられたそうです。寺領三百石でした。 

別当寺はその後、天台宗神徳寺に、幕末の焼失後はその本寺の板鼻の称名寺が別当を勤めたそうです。 (それで、地主神社の手前に日枝神社がある理由が、理解できました) 


          (高崎駅より6K983M)



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この記事へのコメント
八幡の八幡さまは長女4歳、次女1歳をベビーカーに乗せての散歩コースでした。
そうそう、長女を叱るときいつも八幡さまの裏手に連れて行って・・・・・

「良い子にしないと神様が連れてっちゃうぞ!!」と脅かしたもんです(笑)。

ところで、山名の八幡さま・・・・

決まって、「お祭」があるのはどうしてでしょうか?

未だに、カミサンなんかは「八幡さまだから行ってくる」と実家に急ぎます(笑)。
実家は実家で、義母が必ず「うどん」を打って兄弟や、子、孫の来るのを楽しみにしながら待ちます。

あの南八幡地区というか、田端、木部、阿久津地域は昔のままですね・・・・・
なぜか、どこにでもあるような飲食店、カラオケスナックどころか食堂すら一軒もありません。昔、共栄橋のたもと、阿久津に鮨屋ができましたけどすぐに閉めちゃいました。
未だ専業農家が多く、伝統的風習も残っているようです。
農村文化でしょうか・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年05月19日 15:39
八幡の八幡さまにも、お住まいでしたか。 
裏手の林は、神隠しに遭いそうでしたね。

山名は、お祭りの時は大変です。 
多分、人口が増えますよ。 
みんな、実家に帰ります。 
胸をワクワクさせて、お祭りを待ちます。 
一種の本能的な、焼き付けられたものです。 

或る意味で、うらやましく、大切なものですね。
カラオケもスナックも不必要です。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年05月19日 17:00
八幡宮に行くと地主稲荷神社にも必ずお参りしますが、おもしろい言い伝えがあるのですね。山名の八幡さまにも行ってみたいです。
イソイソと実家に帰りたくなるような、地元の人々に深く根付いたお祭りがあるなんて、羨ましいです。

小石川音羽の護国寺に眠るお名前のすごいこと!久々に作曲家の團伊玖磨さんを思い出しました。
Posted by 風子  at 2010年05月19日 19:35
”七色の谷を超えて、 
 流れていく、花のリボンよ、
 輪になあて、輪になあて、
 飛んでいつたよ”

團伊玖摩作曲の、題名はわすれましたが、音楽の本にあつたそんな曲をおもいだしました。

”花の街”かもしれませんね。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年05月20日 00:09
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