2010年05月17日

号外版・お香のすすめ(Ⅱ)

 






















  (今朝の上毛新聞の県央版に、この記事が載りました)

新聞の写真で香を聴いている女の子(七歳)は、六人の正解者のひとりでした。


高崎藩主大河内氏のご先祖の源頼政にちなんだ、”新菖蒲(あやめ)香”です。 

御家流の家元は、大河内氏の前の高崎藩主の安藤三代の御子孫です。 

両家とも譜代大名ですが、大河内氏は新参譜代、安藤氏は三河譜代と区別されるそうです。 

そう講話される堤克政氏は、大河内高崎藩の家老の御子孫にて、頼政神社の総代をなさっております。 


   鵺(ぬえ)退治で有名な源三位(げんざんみ)頼政卿(きょう)は、
   鬼(酒呑童子)退治で有名な源頼光の曾孫さんです。
 

    ”五月雨に池のまこもの水まして 
                 いずれあやめと引きぞわずらふ” 

   この一首で頼政は菖蒲御前の心を射止めたとか。 


源氏香、七夕香、三夕香、除夜香、と様々な香立てがありますが、その背景には膨大な古典の知識の山脈がありました。 

お香は、たんに臭覚の問題だけでは、どうも収まらないようです。


タグ :三位

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Posted by 捨蚕 at 23:19
Comments(5)号外
この記事へのコメント
捨蚕さん、風邪引いてて御香の香りが分かるかなぁ?って、心配してたんですが・・・。

高崎まつりの山車巡行も、もともと頼政神社へ集結したものと聞きます。
歴史に裏打ちされた山車巡行に戻した方が、祭の重みが増すと思うのですがね・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月18日 08:32
確かにそうおもいます。 
頼政神社も総代さんが一人で掃掃除をしているのを見かけたとの話を聞きました。寂しい神社になってしまっているようです。 
ところで、高井俊一郎のホームページに、高崎祭りのことが載ってました。是非コメントをしてやってください。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年05月18日 09:59
お香と言えば
2007年の4月、
フランスからの3人のお客さんに
何をおもてなししようかと考えた末、
お香にすることにしました。
八間道路にあるお香屋さんに
お世話になりました。
全員が初体験、確か源氏香でした。
微妙な香りをかぎ分けるのは
難しかったです。
ほとんど当たりませんでしたが、
模様のような記号が
印象的でした。
Posted by いちじん  at 2010年05月19日 12:46
その、お香屋さんが妻の実家です。 
そんな訳です。  
模様のような記号
いま手元にありますが、数えたらやはり54ありました。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年05月19日 14:09
え!
そうすると香道を主宰されてる方は
奥様のご兄弟ということですか?
その節は
大変お世話になりました。
よろしくお伝えください。

こんな繋がりがあったなんて・・・
Posted by いちじん  at 2010年05月19日 17:04
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