グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年09月28日

見捨てられた年号たち

           例えば神社(日枝神社)の隅に、
      無造作に捨て置かれた、壊れた鳥居の石柱。

   よく見れば、享保(1716~1736)の文字、 
      十三年四月、戊申(つちのえさる)、寄進、
           と読めます。
 *すぐ隣の護国寺の焼失は天明五年(1785年)の二月六日の夜の事でした。    



      例えば、寺院(天龍護国寺)のはずれには、 
   無縁仏の墓石がひとかたまりに集めてあります。


    よく見れば、文化(1804~1818年)
            文政(1818~1830年の文字。


*現在の本堂は享和三年(1803年)十月の再建、落成でした。



  


Posted by 捨蚕at 22:54
Comments(0)上並榎シリーズ

2010年09月28日

変わらない三角形

    ①文化七年(1810年)の絵図です。
    覚法寺、熊野(高崎神社)の文字が見えます。
    木戸や城代組屋敷も確認できます。



    ②明治30年(1897年)の地図です。
     柳川町、堰代町、熊野社、恵徳寺の文字がみえます。


    ③昭和35年(1960年の住宅地図です。
      まだ道路の拡張する前です。 
      天引医院、柳川郵便局、小林理髪店もあります。


    ④平成12年(2000年)の住宅地図です。
      ホワイト・インがあります。



   *ほとんど変わらない三角形の土地がありました。
   *200年間も不変の、貴重な三角形です。