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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年09月21日

安政七年正月十八日のこと

  安政七年正月十八日     
  江府御出立
  築地講武所より
  羽根田沖・亞舟ホーハタン迄
  我国御用舟にて御一同出帆
  亞墨利加国え 
  御用使航海御人数・・・・
  

幕末遣米使節目付・小栗豊後守忠順の従者である権田村名主・佐藤藤七(54歳)の渡海日記の冒頭の書き出し部分です。






正月十八日(晴れ)
小栗公は駿河台の自宅を午前10時に馬にて御出発されて、
正午に築地海軍場に到着なさました。 
他の方々も正午には集まられ、午後2時に小舟にお乗りになり川崎の沖にて、
アメリカの迎えの船・ポーハタン号に乗り移りなされました。
船長や仕官らが船の入り口に出迎え、
楽器を演奏し祝砲を連発いたしました。 
午後3時に蒸気を発しつつ横浜沖に到着したのは午後4時過ぎ、
ここにて停泊しました。





小栗豊後守(帰国後に上野介となります)の駿河台の自宅から、築地の講武所(海軍場)までを江戸古地図でたどってみました。 
だいたいですが、湯島聖堂から築地本願寺までのようです。
9名の従者を引き連れての約2時間の行程でした。