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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年07月25日

請地堰(十九の堰の物語Ⅴ)










































  十三番は請地堰、あの有名な新井堰の次の堰です。
  すぐ上流を、チンチン電車が大川を渉った場所でした。

 
ここから分水した水路は 
一路南下して 
北小方面に向かいます。  

ここは赤坂村の字請地(うけち) 

長野堰の北は向請地(むこううけち) 

向請地は昭和にはいって昭和町となりました。 

また請地町には長野堰土地改良区の事務所もあります。
  

Posted by 捨蚕at 22:00
Comments(0)十九の分水堰

2010年07月25日

せ・わはし











































 
 ここは山田町と末広町と
 
 高砂町の境界地点 


 ”う”が消えてしまっていて  

 ”せうわはし”こと”昭和橋”  

   昭和6年1月竣工  

そのころ川沿いにあったのは 
染物工場と米屋の水車 

 橋の模様も水車の模様かな  

懐かしいのは橋のたもとの 
 ”寺西精肉末広支店”  

Posted by 捨蚕at 17:13
Comments(2)橋シリーズ

2010年07月25日

創立のわかる看板



九蔵町の金物屋さん 

”中山道高崎宿史”には

安永年中創立とのこと 

安永年中とは 

1789年~1800年

だとすれば 

Since1700とは・・・・・







 

新町(あらまち)の石屋さん 

弘化2年とは1845年のこと 


たとえば、お茶の豊田園は 
文化年中創立という 
(1804年~1817年) 

たとえば、藤崎総兵衛商店は 
宝永6年(1769年)  


大通りを看板を見ながら歩いていたら 
とりあえず、二つの創立を見つけました。