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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年06月01日

その名は”上野群馬之助”(気になるシリーズ⑨)

 
江木の無縁堂跡に
長野堰を背にして
”五万石騒動の碑” 
その隣に、この水戸浪士”猿田忠夫の墓”があります。  

(表面) 
 ① 猿田忠夫     
    行年 二十
 ②郡司兵左ヱ門  
    行年 三十一 
 ③上野群馬之助  
    行年 二十四 
 ④岡野仙三郎   
    行年  二十 
 ⑤ 浜吉        
    行年 四十六
 ⑥ 菊松        
    行年 十四


元冶二年(1865年)二月四日、雪深い敦賀で天狗党の処刑が始まったこの日、 
高崎藩の処刑場で、上記六名の斬首が執行されました。 

藤田芳之助とともに、天狗党の軍資金集めのために上州を奔走していた六名、 
元冶元年五月二十六日、中仙道を高崎へ向かう一行を高崎藩の捕方が待ち受けていました。 
逮捕理由は”領民をまどわし金品を強奪する不届至極な輩”でした。
場所は、豊岡の茶屋本陣・飯野善右衛門宅の前でした。 


上野群馬之助(こうずけぐんまのすけ)・本名は富田伊十郎・玉村の住人。 

明治四年(1871年)十月、当初高崎県を予定していたが急遽変更し、群馬県が成立しました。 

上野国から群馬県への改名を予見したような、富田伊之助さんの改名の気がしてなりません。 

追記ですが、捕らえられ石上寺に幽閉された七人のうち、中心人物である藤田芳之助は旧水戸藩士ということで釈放され、筑波山に戻っています。  続きを読む


Posted by 捨蚕at 21:32
Comments(2)小発見シリーズ