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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーションat

2010年04月24日

飯塚停車場(ステーション) 踏切シリーズ・4

 


   橋をわたれば大橋町  

    渋川行きの馬車鉄道 

   長野直江津方面に 

    飯塚駅のステーション 

     
      
     明治41年発行 
      ”高崎唱歌24番” 
        深井小五郎著
 




渋川街道でなく三国街道が良いですね。 
なぜなら、高崎の御城下から四ツ谷の木戸を北上する道は、昔から三国街道ですから。


明治18年(1885年)10月15日に高崎~横川間が開業しました。 
中間駅は、飯塚、安中、磯部、松井田の四駅。
一日4往復で運行時分 は1時間20分。
旅客運賃は、上等1円、中等60銭、下等30銭。    


この踏切も北高崎駅も、正確には大橋町なんです。この場所だけ北に突き出して大橋町なんです。 
それも、幸楽苑のラーメン屋 さんまで、どんな理由があったんでしょうか。


北高崎から電車にのると、4分で高崎駅に着きます。それもたったの140円。 
飲み会の時の、私の最寄り駅です。 

      高崎駅まで2K424M  
   

Posted by 捨蚕at 18:18
Comments(4)踏切シリーズ

2010年04月24日

電車山のあったあたり(踏切シリーズ3)

 

信越線NO・2踏切は、金井踏切です。 


が、小発見シリーズ21”女学校西通”で、紹介済(2月19日)のため、  

今回はNO・3踏切の飯塚踏切です。 


(なほ、小発見シリーズ21は、踏切シリーズ2に変更させていただきました)







かって、この踏切と北高崎駅の間に電車山がありました。昭和30年に電車軌道は廃止されたそうです。 

ただし、電車山はその後もしばらくありました。写真の樹の向こう側あたりだと思います。

同級生の、のぼる君が、電車山から落ちて腕の骨接のためにしてきた包帯の白さが、勲章のように思えた記憶があります。 

母は何度か、私を連れて渋川の親戚の家に行ったといいますが、残念なことに、いくら思い出そうと思っても、乗車した記憶がありません。 


この踏切を北に行くと、清水内科の裏に字鼠屋敷をみて、長泉寺(愛隣保育園)です。
さらに北上すると飯塚村の中心地の、飯玉神社や常福寺のある、飯塚城跡にでます。 

高崎駅から2K095Mの距離にある、飯塚踏切でした。  

Posted by 捨蚕at 13:27
Comments(3)踏切シリーズ