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本町一丁目の北東の角にある四角いマンホールです。
正確にいうと角から三軒目の四方田商店の北隣に路地らしきものが東へと走っています。ここが遠堀跡です。その前にマンホールがあります。見たことありますか。 まだでしたら是非とも、ご覧になってください。
遠堀の話は別の機会として、今日は中山道と三国街道が交差する北東の角の話です。
この角、今は不動産会社のビルがあります。
昭和47年には明治45年創立の中林精良堂とあります。
昭和36年度版の住宅地図には、群馬銀行高崎北支店があります。その北が中林精良堂文具店、東隣に百足屋石油店とあります。
群馬銀行高崎北支店はその後、向かい側の現在地に移りました。戦前は群馬大同銀行でした。
開化高崎控帳に戦前のこの角の事が載っていますので、引用させてもらいます。
本町一丁目の四つ角には群馬大同銀行北支店があり、一軒おいて東に大き な総二階の蔵造りと、左隣に棟間があり、懸崖の松が、道路までのびていた。これが関東一円に砂糖問屋として知られた百足屋である。
百足屋(むかでや)さん、どこかで聞いた名前ですね。一月の記事、続飯塚城の千部供養塔にありましたね。時は文政十年(1828年)、尼寺の常黙庵にかけつけた本町の旦那衆のなかにいましたね。(1月23日小発見の12参照)
さてここに、文久二年(1862年)の高崎宿地図に間口六間の小林弥七持ちが角にあり、三軒東に間口三間の小林弥七がみられます。間口三間(5.46m)が普通の間口です。 ここは百足屋さんの土地でした。
道を挟んで北西角は滝川喜平、”左中山道右三国道”、で有名な薬屋の大津屋さんです。
元禄十六年には、蕎麦切屋 ・伝右衛門とあります。旅篭屋、蕎麦屋、清酒屋が並び、まさに旅人のための本町でした。
以上、高崎の住人のだれもが知っている場所、本町一丁目北東角の約300年の歴史でした。
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