上野国山名八幡宮境内全図これが正式な名称。明治31年12月の印刷、発行。定価金七銭、八幡宮社司高井和重。
まず左下隅に一之大鳥居その右脇に太刀割石、一名福石、その上に上野鉄道山名停車場。(明治30年9月全線開通)小さな汽車が煙を吐きつつ高崎方面に向かって駅を出たところです。
右下隅に八幡尋常小学校、生徒が体操や行進や遊戯をしているのがみえます。
一の鳥居に戻って参道をすすみましょう。踏み切りを越えると随神門、かって神仏混合時代には、仁王様があったとききますが、明治31年にはなかったのでしょう。参道にそって手水屋、稲荷社、金刀比羅社、と右手に並び石段です。
左右に石垣が組んであり二の鳥居をくぐりつつ登りつめると、拝殿です。
拝殿の右に厳島神社そして末社と石碑。左には御輿倉、神楽殿。それは今は拝殿の右手にある。
拝殿の裏は断崖、八幡山が続き奥宮が鎮座している。
この絵図は上野鉄道の開通を機に、汽車で行ける神社、境内を汽車が走る神社、としてPRのために作られたものでしよう。
ちなみに高井和重宮司は今の三代前の宮司です。
明日は元旦。山名八幡を参拝の際には、この絵図を増刷したそうですのでご購入してください。一味ちがった初詣になること受け合いです。
毎月月末に山名八幡物語を連載します、たくさんの思い出や知識のコメントを期待しています。