上並榎城の予定を変更してなぜか突然、行人橋です。゛ぎょうじん゛とは、修業僧のこと。上小塙の行人塚伝説によると、自ら食を断ち棺桶に入り南無阿弥陀仏と唱えつつ成仏した旅の僧、その結果大流行していた流行り病もぴたりと止んだそうです。村人は塚を建て松を植えたそうです。
さて、ここ行人橋です。 大雲寺の北東の高砂町五本辻を東に、すでに江木村小字は諏訪西、田村製菓、長井米穀店、そして問題の(大類里踏切 上越線NO.2)の看板を通過して東三条線へ、江木西と言う信号を渡る、ゴスベルチャーチと言う名のミニデイズニーランドの裏を通って長野堰にでる。そこに架かっているのが行人橋、そのたもとが諏訪神社。
神社の隅に・行人の霊・と刻まれた石塔を発見!
かって、松の大樹があり、長さ三間三尺幅五尺の橋があったそうです。
話は前後しましたが何で行人橋か、でした。土屋老平著の ゛江戸時代の長野堰分水堰略図゛の一番我峰堰から十九番の高根堰までの追っかけ、その十六番行人堰の確認目的の散歩でした。昭和52年発行の高崎の散歩道の写真には、石橋の横腹に右から行人堰と刻まれ、手前に堰止めの基礎石が写っています。 堰も変わり橋も変わりましたが、確かに存在しました。ただ堰には名前の表示がなく・・行人堰遠方制御盤LE9・と書かれたプレートで確認できました。が、写真の石橋はどこに行ったのでしょうか?さて
里道は橋を渡り右に折れ江木神社を経て大類へとむかいます。今回はここまで、おあとがよろしいようで・・・。
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